短編小説

□般若
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「何見てるんだ?」

ある展示コーナーの前でじっと動かない友人に声をかけた。
平日の博物館はひどく空いていて、周囲に人影はなくガランとしていた。

「うん? アレ」

友人が指差す方を見れば、ずらりと並べられたお面の数々。これだけ沢山あると少し気味が悪かった。
彼が差しているのはその中でも一際異彩を放つ一枚の面。


般若の面。


「……………アレ?」
「そう。アレ」
「………なんで?」

話している間も友人は此方を見ない。じっと般若の面を見ている。
熱心に般若の面を観察する小学生って、あんまりいないんじゃないだろうか。

「むかしから思っていたのだけど」

彼はゆっくりと瞬きをした。視線はそのままだ。

「みんな『怖い』っていうじゃない? でも、僕にはそうは思えなくって」
「……怖くないのか?」

彼がはじめてこちらを見た。澄んだ目が俺を映す。

「うん。………だってずっと」

けれどそれは数秒の事で、彼は再び面の方へ顔を向けた。



「泣いてるみたいに、見えるんだ」



「泣いて………?」
「うん。辛くて、悲しくて、大声で泣いてるみたい」

彼と同じように面を見上げる。

「……ほんとだ」

下がった目尻、大きく開いた口は叫んでいるようで、確に泣いているようにも見えた。

「いつも思うんだ。何がそんなに悲しかったのかなって」


鬼になってしまうほど。
そう聞こえた気がした。












それから一ヶ月程後、彼はいなくなった。この世界の何処にも。
母親に殺された。無理心中だった。

『いつも思うんだ。何がそんなに悲しかったのかなって』

彼の言葉が耳に蘇る。



……彼の目には、自分の母親がどう映っていたのだろうか。

『泣いて』いたのは、誰だったのか。



今でも考える。あの日、彼は俺に何を伝えようとしていたのか。

「………………今更、考えても仕方がないか…」

平日の博物館、彼がいた場所。
今は、俺独りで。



顔を上げる。
般若は今日も、泣いていた。

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