石の箱


ボイジ君の家には

代々からの箱があった。

ボイジとは変な名前だが、

日本人である。

名前でいじめられた。

やーい、いぼ痔!と。

どこからどう流れ着いて

ボイジ君の家にその箱が

やってきたのか

100歳になったおばあちゃんに

聞いてもわからない。

きれいなグリーンの

石の箱である


ボイジ君は

子供の時から神棚の上に置かれた

15cm×15cm×10cmほどの石の箱を

極めて柔らかい布で拭く役割を

与えられていた。

布もそれ用のものと

代々決まっていた。

適度に重く、手に持つと、

石なのにほのかに温かい。

鍵穴があり、

どうやら金無垢のようだ

しかし鍵はない。

家のどこかに

あるのかもしれないが…、

そう欲深くないボイジは

別に探そうともしなかった。

振ってみても音はしない

空かな?

いつもボイジは思った。

なんだか、手に持つと、

うっとりする。

胸の中に

ピンクのバラが咲くようだ。

ボイジは目立たない、

おっとりした人間で、

世間にあまり役に立たないことに

ばかり関心を持った。

歩きながら本を読み、

電柱にぶつかって自分で笑うやつ

である。

友達は彼のジャケットの襟を

直してやったりして、大切にして

やっていた。

「ありがとう。」

「なあ、ボイジ、今度某大とコンパやるんだ。たくさんかわいいこもくるよ。」

「ありがとう。でもやめとくよ」

「なんでだよー。それともソープ行くか?」

「ソープって?」

「え? まあ、ボイジに説明すると疲れるから、おれじゃ行くよ。またな。」

友達は真っ白な歯を見せて

軽々と走って行った。

ボイジは一人で銀杏の木の下で

弁当を食べ、書物を指で追った。

 それは、

古代エジプト文字の手引書だった

その文字には見覚えがある

『ああ、あの石の箱にこういう文字が刻まれている。』

全ページコピーし、家に帰った。

大学も休み、

文字を照合していった。

不眠不休、それも苦にもならず、

読み続けていった。

こう書いてあった。

<中に恋あり。この文字を解読する者は生涯恋をできない。
鍵を見つければ、恋ができる。鍵を探したければ、この箱を持ち海にいなければならない。>

『生涯恋ができない?』

ボイジは温かみがある箱を手に、

考えこんだ。

『あり得るな…』

そう実感した。

両親に言った。

「この箱を持って、海に行っていいかな。」

「なにしに行くんだ。」

と父親。

「あんた、大学は? この頃行ってないでしょ。海になんか行っている暇なんかあるの?」

と母親。

きゅうりのきゅうちゃんを

食べている。

「お前は、ぼけ茄子みたいなやつだ。生きていけるのかね。」

と父親が言う。

「あんたね、もう寒くなりだしてるんだから、ちゃんと自分で服を選んで行くのよ。それから、お弁当も自分で作るのよ。」

「わかった。」

そっけない両親の応対に

悔し紛れで、炊飯器のご飯を

全部弁当箱に詰め込んだ。

缶詰も飲みものもありったけ

持ち出した。

長丁場になると感じていた。

22日と22時間22分22秒

砂浜に箱を持って座っていた。

食料も尽き、お金もなく、

雨風、潮風に風邪をひいた。

そのときだった。

海から全裸の女性が現れた。

「ふあー!」

ボイジは風邪が一気に

治ってしまった。

若いからズボンの中に

射精してしまった。

目の前に全裸の美女は立った。

「私は人魚よ。」

「に、に、」

「人魚よ。」

ボイジはズボンを

必死に隠しながら、

たじろいで見上げるばかりだった

「その箱の鍵を探しているのね。」

ボイジはただ頷いた。

「待っていてね。私はそれがどこにあるか知ってるの。」

そう言うとボイジの頬にキスをし

立ち去った。

海の中に消えた。

待つこと、さらに

2日と22時間22秒コンマ22秒。

人魚は現れた。

憔悴しきっていた。

「ボイジ。探してきたわ。地球で一番深い海にあるの。」

「ありがとう、ありがとう。」

彼は、コートをかけようとしたが

人魚は首を振った。

「頼みがあるの。」

「私を海に戻して。もう立てないの。」

ボイジは鍵をしっかりと

胸ポケットに入れ、

人魚を抱きかかえ、海に向かった

「私がいいというところまで運んで。」

ボイジは頭まで海に沈んだ。

死んでもいいと思った。

「もうここでいいわ。私はあなたが好きよ。忘れないで。」

「忘れない。」

人魚は沈んでいった。

時は過ぎた。

彼はずっと毎日海岸で過ごした。

恋はたしかにできた。

最初で最後だった。

ボイジはしかし、

一人ではなかった。

脇には子供が座っていた。

人魚が海に帰る時、

水中に漂うボイジの精子を

人魚は体内に入れていた。

赤ちゃんが海に打ち上げられた。

ボイジはすぐに自分の子供だと

わかった。

「母さんの****は立派な美しい女性だった。」

そう言って、子供の頭を

抱き締めた。

「お前の名前を彼女と同じ名前にしたのだよ。」

「あの箱は幻なんだよ。」

「いつの時代、どこへでも現れるんだ。」

「****、海が恋しいかい?お前にも首筋や背中にかすかに鱗があるね。」

「お前のお母さん****に会いたい。」

「お前も会いたいだろうなあ。」

「うん。」と子供が答える。

「父さんはね、****でなければいやなんだよ。」

「こんな人生があったっていいじゃないか。」

「お腹減ったかい? 裂きイカがお前の好物だ。ホタテは寿司屋で食べような。」

「蟹食べたい。」

「そうだな。北海道から取り寄せよう。殻は味噌汁にして飲もうな。」

「うん。」

「父さん、もう少し金回りがいいところにいればいいんだが。まあ、それは何とかなるものさ。」

「母さんの****はこの箱のこの鍵をマリアナ海溝から探してきたんだよ。」

「人魚の神様さ。」

「かみさま?」

「ああ。その深海ではな、1平方センチメートルに
1.2トンの重量がかかる。」

「1.2トンって?」

「そうだなあ、お相撲さん十人ぐらいの重さかな。」

「ブラッドシフトと言ってね、血液が脳や心臓に集まって身体が耐えるんだ。」

「****はそうしてこの鍵を見つけてきてくれた。」

鍵はとても小さな非常に

細工が細かいものだ。

「裂きイカもっと食べるかい?」

「父さんは日本酒を飲む。今日もだいぶ冷えてきたな。」

「お前の将来のことだ。」

子供の****は裂きイカを幼い手で

摘んでいる。

「いまはまだお前には解らない。しかし、お前は将来お嫁さんになるんだ。」

「父さんはお前がやがて海に帰らなければならないことを知っている。」

「その時に父さんも一緒に海に連れて行ってくれ。」

子供は無心に海を見ている。

「お前の母さん****に会いたいんだよ。」

「それに、お前の結婚式を見たいんだ。」

「うん。」

「口移しで空気をくれればいい。」

「頼んだよ。」

「うん!」

二人は日が沈みかけた海から

腰を上げた。

「さあ、寿司屋に行ってホタテ食べような。」

             完 


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