ワヤスミ本家

□Birthday
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確かに、喧嘩を売ったのは自分だ。あの時あの場で、もう少し落ち着いて話が出来れば良かったのだ。
「ダメダメだ、俺…」
今朝すぐに、勇気を出して謝ってしまえば良かった…と、和谷は幾度となく後悔した。タイミングを逸すると謝罪は難しい。
(でもなあ…)
100%自分が悪いとも思えない。いや悪いかも知れないが、だからこそ、メールや電話で仲直りなどできないと思う。
これまで、喧嘩がなかった訳ではない。
(どうだったっけ…)
いつも、曖昧なままそれは終わった。和谷が忘れていたり、伊角が譲歩したり。
「…伊角さん」
やはり何か無理があったのかと、嫌な考えに行き着く。こんな関係は、いつまでも続かないのだと。

■ □ ■ □

歴代2位の記録ができた。
1位はあの、伊角が中国から戻るまでの長い別離だ。その他の断絶は、これまで3日がせいぜいだった。
あの雨の日以降、二人で会う事をしていない。『検討会』には伊角が他と連れだって来る。二人きりになるのを避けるかの様に。
残っているのは碁打ち同士として最小限の関係だけだ。これが別れだと、和谷は認めなかった。
「明日…伊角さんの誕生日じゃん…」
それなのに結局、会う約束もできていない。何か約束していれば、それを口実に押し掛けて伊角の気持ちを訊けたかも知れないのに。
日付が変わるのを待って、和谷は送信した。
『お誕生日おめでとう伊角さん!(>▽<)♪』
「何か…こういうのをストーカーって言うのかも…」
2階の伊角の部屋の窓の灯りを見ながら、
「て言うかストーカーだろ」
和谷は独りツッコミを入れた。
家まで来るぐらいなら、もう一歩勇気を出せばいいのだが、それこそできない。しばらく待つと着信が震え、
『ありがとう』
というそっけない文面が光る。
『伊角さん大好き』
離れて強くなる、いつも変わらない想いを送ろうとして、止めた。
「あ…」
2階の灯りがふっと消えたのだ。
(も、寝ちゃったのかな…)
何も動く気配がない。その闇がまるで、伊角の拒絶を表しているようで、
「…傷つくなあ…」
送信されないメールがまた溜ったのだった。


「分かった、分かったって。…ん、また今度…」
実家へ洗濯された衣類を引き取りに行くと、必ず長居させられてしまう。挙句の果て、携帯にまで小言が付いてくる。
けれども仕事で疲れた夜道を、悶々として帰るよりはましかも知れない。今日は恋人の誕生日なのだ。
「ったく」
通話を切ると、どこからか春を惜しむ花の香りがする。
(…いい季節だよなあ…)
こんな日に伊角は生まれたのだ。
(伊角さんらしいって言うか…だから伊角さんなのかな)
穏やかな夜風に思わず笑んで、和谷は鉄の階段を上がった。
「…和谷」
小さな声がする。彼は廊下の暗がりに膝を抱えていた。
「っ、伊角さん!」
和谷が驚きで大声を上げると、
「しぃっ」
伊角は立ち上がる。
「どうして…」
「遅かったな」
「誕生会は…」
「もう済んだ」
「え、でも、」
「…これ」
伊角は茶封筒を差し出した。
「危うく…弟が捨てる所だった」
差出人の名前と切手のないそれは、確かに怪しい物体だった。
「あ…」
もしかして突っ返しに来たのかと、和谷は二の句がつげない。恐る恐る伊角を見た。
「…その、」
一度差し出した封筒を所在なく両手にして、「ありがとう」
伊角はうつむいた。
「嬉しかった」
「…マジで?」
和谷の肩の力が抜ける。
「ああ」
「それだけ言いに来たの…? わざわざ?」
「…来ちゃいけなかったか?」
伊角が冗談めいて、半分本気で心配を言うので、
「今っ、開けるから」
和谷は自室の鍵に飛び付いた。
「あ、いや、いいんだ、」
今更慌てて、伊角は逃げをうつ。
「今日はもう帰るから…」
「…そんな事言ってさ」
和谷は伊角の腕を掴んだ。片手に抱えた洗濯物の紙袋が重い。
「せめて、あと1時間…半、一緒に居させてよ」
伊角さんの誕生日が過ぎるまで、と、和谷は扉を開いた。
「…分かった」
「…やったっ」
和谷が身振りで小さく喜びを表すと、伊角がくすりと笑う。二人のリズムが戻ってきた様で、
「なんか、飲む?」
和谷は弾んで端に荷物をおろした。
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