生徒和谷×先生伊角さんパラレル

□さよなら☆卒業先生
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 3階の音楽室から『仰げば尊し』が聞こえてくる。
 伊角は万年筆を止めて、その歌に聴き入った。今こそ別れめ、いざさらば。
「……っ」
 一人の時で良かった。いや、一人だからこんなに簡単に涙が出てしまうのか。
 伊角はポケットからアイロンのかかったハンカチを出して、目元にあてる。数滴の涙を吸いとらせ、
「……はあ……」
ため息をついた。
 卒業生を送るのは、2度目になる。
 今年は、特別な人を送り出す卒業式だ。



■ □ ■ □


「……一晩考えてみた」
 恋人が、ふくれっつらで伊角を睨む。
「そうか」
 話をしにきてくれた事に感謝して、伊角はその瞳を受け止める。昨日はひどい修羅場だった。伊角から声をかけるのは憚られた。
 問題を持ち出したのは伊角だったので。
「そこまでする必要あるのか、俺にはやっぱしわかんない」
「……用心に越した事はないだろう」
「誰かになんか言われた? 和谷とアヤシイとか、ベタベタしてまさか同棲するつもりかとか」
「和谷、声が」
 大きくなる生徒の感情に、伊角は注意した。2人以外誰もいない狭い資料室でも、一歩扉の外は放課後の生徒達が行き交っている。
「……誰にも、何も言われてないよそんなことは」
 伊角は咳払いをして返す。
「そうだよね。そうに決まってる」
 何の確証があってか、ベタベタしてくる当人は腕を組んだ。もうほぼ同じ高さにある視線は外されない。
「しばらくって、どのくらい一緒に住めないの。1ヶ月? 2ヶ月?」
「……半年は」
「……」
 和谷が黙り込む。向こうを向いて、頭をぐしゃぐしゃにかいた。男っぽい仕草に伊角は見とれたが、その感慨は次の言葉に崩れる。
「……あのさ先生、はっきり言えば?」
「え?」
「つまり俺と別れたいんじゃないの」
「……っ、そんな、」
「良く考えたら結構厄介だなーとか思って、」
「違うっ!」
 真っ赤になった伊角が大声をあげ、自分で口を塞ぐ。
「違う、そんなことは思ったことも」
「一緒に住もうって言って部屋まで借りて、今ごろそんなこと言うのってさあ、どうなんだよ」
「……」
 和谷の言う通りだ。伊角はうつ向いた。
「ねえ、どうなの」
 イライラと、和谷が丸められた古い方眼紙の束を蹴る。
「……昨日言った通り、俺は、失敗したくないんだ」
「失敗って具体的になんだよ」
「色々、……あるだろう」
 同僚の目が怖い。新居の、近所の人々の目が怖い。
 引き離されるのが、怖い。
「だから、色々って」
「卒業しても、誰がみてるかわからないだろう……」
「いいじゃん別に見られても、もう先生と生徒じゃないならっ」
「でもすぐに一緒に住んでいるなんて、普通に考えたら少しおかしいと思わないか?」
 冷静になれ、と伊角は昇る血をぐっと抑えようとした。自分は大人なんだから。
「思わない。おかしくても証拠なんてないし、わかりっこない。ただ一緒に住んでるだけじゃん」
 けれど、和谷の自信が、鼻につく。
「……そんなに逃げたい? 先生」
 バカにする様な年下の恋人の態度が。
「……っ、知ってるだろ、俺が、弱虫なことは!」
 開き直りで、伊角はキレた。
「けどそんなに非誠実な人とは思わなかったっ!」
 和谷が責める。
「非誠実、じゃない、不誠実、だっ」
「細かすぎなんだよ先生は!」
「和谷が大雑把すぎる!」
 いつもは上手くいく二人の正反対さが、ことごとくハマらない。 ただ悪い方へ、悪い方へ。
「少しは俺の気持ちも考えてくれっ」
「……そのセリフ、そっくりそのまま先生に返すよ」
 和谷はもう伊角を見なかった。
 乱暴に閉まった扉の音が、伊角の頭に響いた。




 これが数日前のこと。


■ □ ■ □



「先生。伊角先生!」
「……あ、ああ」
「大丈夫ですか」
 廊下で呼び止めた生徒は、心ここにあらずの国語教師の顔をじっと見た。瞳の強さが和谷に似ている。
「大丈夫だよ。何だ?」
「卒業式の、答辞の添削をお願いします」
 差し出された原稿用紙には達筆で、父兄や在校生の涙を自然に誘うであろう文言が書き連ねてあった。
「わかった……夕方までには返せると思う」
「はい、よろしくお願いします」
「……塔矢」
 ニコッと会釈をして去ろうとした卒業式の総代に、伊角は思わず声をかける。
「あの……」
 言いかけて、やめた。他の話で誤魔化そう。
「和谷ですか?」
「え」
「彼は確か今日も来ていませんが。後期試験の為かどうか」
 アキラは小首を傾げて、教師を見た。
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