ワヤスミ本家

□菓子屋の陰謀
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コンビニに入って最初に目につく所に、いつも季節を感じる。
「あー」
行事のサイクルが早い。つい最近までお屠蘇気分だった気がする。
(バレンタインねえ)
恋人もいる身とはいえ、事情が世間一般とは違う。
漫画雑誌と遅い夕飯の弁当を買って、和谷は店を出た。
(バレンタインかあ…)
扉を閉める一瞬もう一度見た、色とりどりのハート型が脳裏に宿る。
(どうなんだろ、今年)
恐らく貰えるであろう母親や女友達の分は既に問題ではない。肝心なのは、年上の恋人が何にしろ気持ちを表してくれるかどうかだ。
「…難しいな」
去年、両想いになって初めてのバレンタインは、その日には貰えなかった。
15日になって、伊角はごねた和谷を板チョコで黙らせたのだ。「外国では別に男女関係なく贈り物をするんだ、だから」という言い訳付きで。
15日にやるというのは、「嫌い」と意味するんだと和谷が冗談混じりで言うと、暫く伊角はへこんでいた。
「…じゃあ今年はちゃんと貰えるかな…」
恋人同士なのに、何故こんなにバレンタインに悩まされなければならないのかと和谷は少しいらいらしながら鍵を開け、底冷えのする台所で外の光を頼りにヤカンを火にかけた。
カーテンも閉めずに蛍光灯とポータブルテレビのスイッチを入れ、和谷は疲れた体を投げ出す。
「まーじ、辛い…疲れたー」
伊角の声が聴きたい。
しかし彼は東北に出張中なのだ。今頃は懇親会と称した酒席が盛り上がっている時間だろう。
「大丈夫かな…」
心配の種は尽きない。いや一層増殖している。友達という位置では知らなかった彼を、知れば知る程だ。
ふと、要らなくなったという兄弟子から貰ったテレビが、「手作りは女の子の特権!」と言った。
「…特権かよ」
チョコのCMというのも、和谷の負けず嫌いに火を付ける。
湯が沸騰する音で我に帰り、小さな冷蔵庫の上で吸い物茶碗にインスタントの味噌汁をあけた。
(今日はさすがに洗いもんしねーとな…)
只でさえ狭いシンクにはマグカップやパン皿が放置されている。
「そんで…」
チョコレートというのはどうやって作るものなのだろうか。
小中学生の頃家庭科はやったが、そんなものは教えて貰わなかった。もし習ったとしても覚えてはいなかったろうが。
「…いいよね、別に」
確かに、それは気持ちを伝える日なのだ。
そう考えると、欲しがるばかりだった去年の自分が恥ずかしくなってくる。
伊角からありがたく頂いた板チョコは、二人で分けて食べた。分けたというより、伊角は味見程度だったかも知れない。
「…よっし!」
温かい味噌汁としょうが焼き弁当を完食して、和谷は決意を胸に携帯を手にした。
日付を越える前のテレビでは、プロ野球のキャンプインが話題になっている。
「…もしもしっ?」
意外にも、コール音は数回で繋がった。
「…和谷か?」
画面で確認できる事を、一々伊角は訊く。着信が鳴ると慌ててしまい、画面を見る余裕がないのだと、いつか申し訳なさげに言っていた。
「うん俺だよ。今大丈夫?」
「ああ。何の用だ?」
伊角とて、用がなくてもという機微が分からない訳ではない。
しかしついこんな言い様になってしまうのは、耳に恋人の息遣いが直接響く機械の、いたたまれなさが原因だと常々思っている。
できるだけ長電話は避けたいという伊角の気持ちも知らず、和谷は
「伊角さんの声が聞きたかったんだよー」
と、ストレートに甘えてくる。
「……」
伊角が何も言わなくなってしまったので、和谷は電話ではそれが照れなのか困惑なのか分からない。きっと両方だろう。
「お酒少しにした?」
取り敢えず心配事を口にする。
この時間に無事に携帯に出た事で、それは証明されているのだが、
「ん…ほんの少しだけ。芦原さんが助けてくれて」
今は遠い地の恋人を安心させたい。
「芦原先生ー? 一緒だったっけ?」
「代打で急に。でもすごく助かった」
絡まれた(であろう)伊角を、芦原が重箱の隅の良心と正義感から救ったのだろうか。
「けど、代わりに芦原さんが…帰って来ないんだけど」
「大丈夫だいじょぶ、大人なんだし」
「…俺も大人だよ」
酒は慣れというが、いつか自分も大量のアルコールを分解できる様になれるのだろうかとため息が出る。
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