ワヤスミ本家

□ハピネス
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「ちょっと待ってて。今日オフクロいなくてさあ」
和谷と伊角を自室に上がらせて、ヒカルは言った。
「あ、いいよ、気を使わないで」
紺のスプリングコートを脱いだ伊角が応えるのに、
「オレもなんか飲みたいんだよー」
「進藤、コーラある?」
「うん。じゃあコーラ持ってくる」
と、年下の二人は伊角の好みを問題にせず、ヒカルは身軽に階下へ降りていった。
「おっ、いい風!」
ベッド横の窓を勝手に開けて、和谷は弥生のまだ肌寒い空気を満喫する。
「閉めろよ、和谷」
脱いだコートを後悔しながら、伊角が眉をひそめた。
「寒い…」
部屋の真ん中に置かれた碁盤の前に正座して、身を縮める。
「寒いーっ? 俺汗かいてんだけど」
振り返って和谷はすっとんきょうに驚いた。
が、逆に伊角も驚き返す。
「何でだ…おかしいだろそれは」
「進藤んち駅から遠いから、歩いてっとさ、」
「…」
一緒に歩いた自分に発汗がないのはつまり、と辿って、
「伊角さんやっぱ体トシとってんじゃないのー?」
笑う和谷に先を越され指摘された。
「…どうせアダルト三人組だよ」
すねた振りをして更に背を丸めると、
「冗談だってば!」
和谷は窓を半分閉める。
「…ねえ、冗談だよ?」
後ろから腕を回され、確かに太陽の匂いを強く感じた。
「分かった、もういいから」
「怒ってない?」
「ああ。だからさっさと離せ」
伊角は部屋の主がいつ戻るかと気が気ではない。
「だあって。寒いんでしょ伊角さん?」
昔より遥かに長くなった腕は、しっかり恋人を捕えている。背中から温もりもまたしっかり伝えて。
「あっためてあげる」
低く耳元で囁かれ、伊角は背筋が震えるのを誤魔化す為に必死で振りほどこうとした。
「和谷っ!」
いい加減にしろ、といさめようとして、扉の向こうに気付く。
とん、と足で叩く音に続き、
「開けてー」
とヒカルの声がした。
「手ぇ塞がってんだよー」
分かった、と返しながら伊角が和谷を突き飛ばすと、彼は大袈裟に転がる。
「もー伊角さんのイケズぅ」
「悪い、進藤」
伊角は無視して扉を開いた。盆にペットボトルとコップを載せたヒカルが、
「さんきゅー伊角さん」
と、一歩踏み出したその時。
「うわあっ」
ヒカルは敷居に足をひっかけ、見事にすっころんだ。中身の入ったコップが宙を飛び、
「っ!!」
ヒカルと一緒に和谷の上に降る。
「…っ、大丈夫かっ?!」
「…」
「…」
折り重なった二人から返事はないが、
「良かった、コップ割れてないなっ?」
伊角は慌てて鞄からハンドタオルを取り出す。
「…進藤おぉっ!!」
突然和谷がヒカルを跳ねのけ起きた。
「ごめん、ごめんってば!」
「お前っ…!!」
「ほら、拭くからじっとしてろ和谷、」
「わざとじゃないんだってばっ」
「わざとでたまるかっ!!」
「進藤、何でコップにも注いで来たんだ?」
「何でって…何でだろ?」
「伊角さんっ!! 今そういう問題じゃないだろっ」
「そうそう、オレ和谷とキスしちゃったんだって」
一瞬で場が静まり返る。
「わ…わざわざ改めて言うな進藤ぉっ!!」
その沈黙が耐えられないと、和谷がまた近所迷惑にわめいた。
「だからっ、ごめんってばぁっ!」
掴みかかられ、ヒカルが伊角にロープを求める。
「まあまあ、和谷、」
阿鼻叫喚をなだめる伊角は、せっせと倒れたコップを盆に載せ直していた。
「伊角さんっ! コップと俺とどっちが大事なんだよっ?!」
理不尽な問いに、
「…コップと比べんなよ和谷…」
ヒカルが呆れて冷静に突っ込み、
「進藤っ、お前のせいだろ!!」
和谷の行き場のない憤りに油を注ぐ。
「だって事故じゃんっ!」
ついにヒカルも逆ギレする。
「オレだって気持ち悪いよっ!! も〜っ!!」
互いに袖で口をぬぐい、険悪な雰囲気になった所に、
「…だけどまあ、塔矢が来る前で良かったな…」
床のコーラを拭きながら伊角がぽそりと呟いた。
「っ、…」
恐ろしい想像に和谷が息を飲む。
「何でっ、塔矢にカンケーないだろっ!」
その緊張をあえて無視して、ヒカルは憤慨する。
「不幸中の幸いというか…」
ため息をついて、伊角は茶色くなったタオルを眺めた。
「ねえっ、聞いてんの二人ともっ!」
それから並べた棋譜は中々頭に入らなかった。
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