ワヤスミ本家

□Stars in Your Eyes
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 ボストンバッグからパジャマを取り出す伊角を、年下の恋人は呆れて見た。
「……そんなの入ってるから荷物多いんだ……」
「? 持ってきてないのか寝間着」
「浴衣があるじゃん」
 テレビのリモコンを一通り回した後、和谷は結局消す。わくわくしている。
 滅多にない一緒に出張、しかも温泉旅館で一緒の部屋。青い畳に大の字になった。
「ね、歯ブラシまで持ってきてるでしょ伊角さん」
「……和谷は何も持ってきてないんだなつまり」
 棋院に行くのと同じ、ぺたんこのザックが部屋の隅にあった。
「当然! 着替えだけだって、1泊だし。あとは宿に全部あるもん」
「あるけど、使い勝手が……」
「まさか枕まで持ってきてないよね?」
「……ない、それはさすがに」
 少し残念そうに言う恋人は、和谷の理解を超えている。付き合うのにちょっとめんどくさくて、けれどその分、思いがけないかわいさがあったりする。
「ねえねえねえ伊角さん、パジャマじゃなくてさ、浴衣着てみない?」
「嫌だ」
 一発で却下されても諦めてはいけない。
「でもパジャマじゃ温泉って感じしないしさー」
「せっかく持って来たのがもったいないだろう」
「じゃあオレが着るから」
「和谷が? いいけど、サイズ……」
「もう全然大丈夫だってば!」
 和谷がむくれるのを見越してわざわざ言う所が憎い。並ぶにはまだ少しだけ足りないのだ。
 後でみてろ。
「ほら、どうよっ?」
 立ち上がった和谷はクローゼットからノリのきいた浴衣を出して広げた。
「……〇〇旅館、とか入ってるのかと思った」
「入ってないよ今どきそんなの。女の子なら何種類かから選べたりすんだぜ?」
「へえー……すごいな」
 おしゃれな和谷が、お仕着せをいとわなかった理由が分かった。
「ね、着たらいいよせっかくだもん」
「和谷が着ろよ、俺は似合わない……」
「似合う! ぜえったい似合うから!」
 深い紺は、恋人の為の色だと和谷は叫んだ。
「叫ぶな、分かった、分かったからっ」
 蛍の飛ぶ夜の静けさを気にして、伊角は結局負けてしまう。浴衣ぐらいなら大した事はない。一度飲み会の罰ゲームで先輩棋士に着せられそうになったセーラー服に比べたら。




「……何だ和谷……」
 心行くまで温泉を満喫した伊角が部屋に戻ると、先に上がっていた和谷が同じ浴衣を着てノビていた。
「お前も着てるんじゃないか」
 着ているというかひっかけているというべきか。
「暑いんだもん……あ゛ー伊角さん長風呂すぎ……」
 他の客がいては恋人にちょっかいをかける事もできなかったが、和谷は頑張った。あんなに湯につかったのは100まで何度も間違って数え直しさせられた子供の頃以来だった。
「無理したな。大丈夫か」
「うう……」
 伊角が品良く正座して、駅で買った新聞で扇いでくれる。湯上がり美人。
「やっぱすげー似合う、伊角さん……」
 和谷はときめく目で見上げた。抱きつきたいが、あまりにゆだっていて涼しい風の方に天秤はふれてしまう。
「……そうかな」
「いすみさんは日本のタカラだよー」
「何だそれは。じゃあ和谷は世界の宝ということで」
「そんじゃあ、伊角さんは宇宙の……、あっ」
「ん? どうした」
 和谷が飛び起きて、窓際に走る。
 東京よりも、星空は豪華で広い。
「……今日さ、何の日かわかる?」
「さあ」
 考えてよ、と和谷はつれない恋人を振り返った。
「……あ、七夕?」
 新聞の日付を見て、常識的な答えが来る。窓を開けると、並んで浴衣の色と同じ空を見上げた。
 後は、何も言わない。夏の虫の声だけがささやかに聞こえる。
「……あの時と一緒だな」
「うん」
 二人がまた会えた、記念日が覚え易い日で良かった。




⇒End。。。



*******
わかりにくい話ですみません、、伊角さんが中国から帰国してプロ試験に挑む前に和谷に会った、あの日が……七夕なら楽しいなあという。
7月なのは碁ジャス的に間違いないですが。

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