ワヤスミ本家

□或いはあなたの誕生日に
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 和谷は寝付きがかなりいい方で、一度眠りに入ったら目覚ましが鳴るまで起きない。
 なので、一緒にベッドに入る同居人が最近あまり眠っていない事に気付くのが、ものすごく遅れてしまった。
「……顔色悪いよ伊角さん」
 朝飯のテーブルで新聞を広げるのはちょっとやめて欲しい。
 ただでさえ、夏休みに入って各種イベントで忙しくなっているのに。朝ぐらいちゃんと話をしたい。
「ねえ、聞いてんの伊角さん!」
「……あ?」
 和谷に合わせたトーストの朝食は、塗ったバターが完全に溶けている。
「顔色悪いってば、大丈夫?」
「いや、別に何も」
 伊角はミルク入りのコーヒーのマグを取った。
「熱は?」
「ない」
 返事を聞かず、和谷の手は恋人の額に伸びる。
「……色々忙しいからな」
「忙しいのはオレも一緒じゃん。あ、明後日、1泊出張」
「そうか」
 何だかほっとした様に見えるのは気のせいか。
「……マジで、クマできてない?」
「……」
 新聞に夢中なフリ。
「ちゃんと寝てる?」
「一緒に寝てるじゃないか」
「何か最近、朝さあ、いっつも先に起きてるし。心配事とかあるの」
「ないよ」
 ないと言ったら、(本当はあるのだとしても)ない。前提としては、外面では。
 年上の恋人は自分の事に関して平気で嘘をつく。
「……ふーん」
 和谷はバターとジャムが端まで載ったトーストにかぶりついた。この人は貝だから、無理矢理には口を開かない。
 塩水がないと。つまり証拠。
 一緒に暮らしだして、この辺の賢い操縦法が分かってきた和谷だった。




 とは言っても、寝付きの良いのだけはどうしようもない。
「……寝坊した……」
 和谷は呆然と起き上がる。
 ジリジリ鳴る青い目覚ましは、伊角が小学生の頃から使っているものだ。勤続15年以上。
 その伊角は、今日も隣にいなかった。シーツには体温さえ残っていない。居間からはコーヒーの匂いがする。
「……くそ」
 和谷はボサボサの頭を乱暴にかいて、立ち上がった。
 証拠を掴もうと思っていたのに台無しだ。出張前に心残りが出来てしまった。
「おはよ……」
「おはよう」
 狭いキッチンで何事もないかの様に(貰い物の)ポテトサラダを盛っている伊角の顔色は、やはり悪い。
「……今日も早いね」
「ああ。ちょっと目が覚めて」
「ねえ、ちゃんと眠れてる?」
「もちろん。ほら、さっさと顔洗ってこい、さっさと」
 空元気が鼻につく。
 追い立てられて洗面所に行って、和谷は顔を洗った。
「ぷは」
 あまり気にしない方がいいのだろうか。
 すっきりした頭で考えてみると、伊角が先に起きている事など珍しくもない。むしろ先に起きない方が、何か体調が悪い時だったりする。言わずもがな、例えば前夜に無理をした時。
「でもなあ……」
 伊角の様子はやはりおかしい。和谷は、自分のこういうカンには自信を持っている。
 次の日の夜、ビジネスホテルからかけたケータイで、疑惑は更に深まった。
「……出ないし」
 しばらく鳴って、留守電に切り変わる。
 和谷はもう一度トライした。
『あ、しまっ……、もしもし』
「どうしたの?」
『和谷?』
 着信があると画面表示を見る余裕のない伊角は、いつもいちいち確認する。
「うんオレ。なんかしてた?」
『あ、ああ……』
 声音が変わる。
 焦りを隠そうとして、咳払いした。
『メシの、用意してた』
「まだ食ってないの」
『忙しくて……あ、牛タン食わせてもらったか、和谷』
 出張先の名物を挙げて、伊角が話題を曲げる。聞かれれば今夜の感激を語らずにいられなくなって、ケータイを切ってしまってから、和谷は気付く。
「……『しまった』って……何が?」
 最初に伊角が上げた声と、何かが落ちる軽い音。
 最近のケータイは細かい音をちゃんと拾う。
「ごはん失敗したのかな……」
 けれど伊角は何も言っていなかった。
 何かを隠している。そう分かってしまうのは、気持ちの良いものではない。
「こっちが眠れなくなりそう……」
 固い枕を叩いて、和谷はひっくり返った。
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