ワヤスミ本家

□リトルバレンタイン
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 急速に仲が良くなっていく二人を、見ているしかない。これは喜ぶべきことだと、事実をゆっくり噛み砕いて理性が宣告する。
「で、森下門下になる訳か。進藤も」
「うん」
 和谷に年相応の親友ができるのはいいことだ。3つも上の伊角にくっついていた、今までが少し不自然だったのだから。
「俺もついに兄デシってやつになりましたよーへへっ」
「進藤の方はそう思ってないだろうけどな」
「もー伊角さんの意地悪っ、そう思わしてやるよーに頑張るんだよ!」
 和谷は鼻を擦って笑う。1つ年下の、少々劣等生で騒々しい後輩が棋院に来てからまだ2ヶ月も経っていない。
 和谷は意外と面倒見が良いらしい。もしかしたら自分よりも。
 そんなことに伊角が気付いたのはつい最近だった。
「まあ、和谷には丁度いいかも知れないな」
 呟くと息が白い。日は早々と落ちて、駅のホームの蛍光灯まで寒々しかった。
「丁度いいって?」
「え?」
 ジャンパーのポケットに手を突っ込んで、和谷は口を尖らせている。
「あー、いや、進藤とノリも合ってるし」
 後輩の面倒をみることで和谷も伸びるだろうし。俺もそうだったからさ。
 伊角は、頭が弾き出したままを言う。冬の冴えた空気はこういう理路整然とした考えをするのに合っている。
「……ふーん」
 それでも、和谷は不満そうだった。何が彼の心に引っかかったのか分からず、伊角は言葉を継ごうとして電車の到着に邪魔される。
「……じゃあ、またな」
 和谷の電車はホームの逆側だ。
「伊角さん」
 人波に合わせて乗車する年上の友人に、和谷は思わず約束を投げた。
「電話する、今日」
 返事を聞く前に扉が閉まる。
「……」
 扉に肩を押し付けて、伊角は小さく手を振った。電車が連れる風が髪をぐしゃぐしゃに乱して、和谷は情けない顔を見せずに済んだ。





 昼間ずっと一緒に棋院にいた癖に、更に夜にまで電話するのは変なのだろうか。多分、変なのかも知れない。先週も同じ事をしたし。
 受話器の向こうに聞こえた伊角の弟の反応に、和谷は床で膝を抱える。背にしたベッドがぎしっと鳴った。
 来週は我慢しないといけないかな。でも別に友達ならそういうのって普通に、電話くらいいつでも普通に。
『和谷?』
 突然耳に声が飛び込んで、和谷はコードレスの受話器を持つ手に力を入れた。
「伊角さん、ごめん遅くに」
『いいよ。ちゃんと宿題済ませたか』
 昼休みに少し愚痴っていた学校の課題の事を覚えていてくれた。そんな些細な事も胸を温かくする。
「ううん、全然っ」
 和谷は力いっぱい応えた。呆れてもらう為に。手のかかる子だと、まだまだ世話が必要なのだと思わせる為に。
 それは無意識の狭間にある希望だった。
『お前なあー、じゃあこんな電話なんかしてる場合じゃないだろ』
「いいじゃん、だって今日はあんまり伊角さんと話せなかったし」
『別に無理して話す事もないだろ』
 あっさりと年上の友人は突き放す。
『明日は学校でお互い早いんだから』
「……それは、そうだけどさあ……」
 ひと言ひと言で浮き上がったり、沈んだり。
『宿題しろよ。じゃあな』
「ま、待って伊角さんっ」
 そんなのってない。
 和谷は話題を探して壁を追う。カレンダー。
『何だ?』
 眠いのか、小さなあくびの音が耳に届いた。
 それを可愛いと思う自分はやっぱり変かも知れない、だけど。
「あ……あのさ、バレンタイン」
『は?』
「チョコ欲しいなー、なんて……」
 かなりの本気を混ぜて、冗談の皮を被せて和谷は言った。
『誰だって欲しいだろ、そりゃ』
 和谷の努力は通じない。
「違うって、伊角さんから欲しいの!」
 だから思わず、ポロッと薄い皮がはがれてしまう。しまったと思いながら本音だけを叫んでしまう。
 友人では有り得ない事を。
『……食いしん坊な奴だなあ、本当に』
「……へへ」
 通じないことで、助かる時もある。伊角の声は変わらなかった。
『和谷ならいっぱいもらうだろ、何も男からもらわないでもさ』
 小さく笑いさえする。
「……そうだね」
 全部ぶちまけられたらどんなに楽だろう。そしてそれからどんな悲しいことが起こるんだろう。
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