ワヤわんこ

□Spring Dog Flower
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 さむくても、ニオイがちがってきてる。
 春がくるよ、ってオレはイスミさんに教えた。
「まだこんなに雪が残ってるのに?」
「でも春のニオイがするもん」
 イスミさんとあるく、白い雪の下からは何かが芽をだす音がするし、じわじわとけるこおった川の中のサカナの声だってきこえてくる。
「春の匂いってどんななんだ」
 ニンゲンにはわかんないの?
「残念ながらな。春の匂いっていえば、花の匂いとか?」
「花はえたら、かんぺき春じゃんー」
「ワヤ、花は『咲く』だ」
「どっちでもイイよ、春のニオイはね、花のニオイよりあったかくてやわらかいかんじ!」
「……わからん」
「イスミさん、雨の来るニオイもわかんないもんねー」
 オレはとくいになってハナをぴくぴくさせる。だから、雨がふるよってオレが言ってあげて、イスミさんがぬれないようにちゃんと守らないとダメなんだ。
「ワンコにはできても、人間には無理なこともあるんだ」
 あ、何かちょっとイスミさんくやしそう。うーん、この春のニオイとか、イスミさんにもかんじられるようにできたらいいのにな。
 そしたら、イスミさんのニガテなつめたい雪の道でもわくわくできるんじゃないかな。
「でも、オレができなくてイスミさんしかできないこともあるよ?」
「……」
 イスミさんはだまってオレの手をにぎってくれた。みずいろ毛糸の手ぶくろの手。
 オレはとっくに赤い手ぶくろをはずしちゃってて、イスミさんの毛糸につつまれる手がすこしつめたいのもよくわかった。なんだかドキドキする。走ってもないのに。
「ワヤ、おとなしくできるか」
「できるよっ」
 もうコイヌじゃないもん!
 ゆうびんきょくのドアを開けると、一気にあったかくなった。
「ここで待ってて」
 つるつるしたイスにオレをすわらせて、イスミさんは手紙を出しに行く。すっごい追いかけたくなるけど、ガマンがまん!
イスミさんのせなかを見ないように、オレはまわりをケイカイすることにした。あやしいゴウトウとかいないかなって。
 したら、いた。ゴウトウじゃないけど。
「ワヤじゃん!」
「……シンドー」
 ということは、コイツのごしゅじんさまもいるってことで……。
「……いた」
 よりにもよりにもよって、イスミさんのそばに。
「トーヤ、ここにナニしにきたんだよ」
「おれがしるわけないじゃんー」
「オマエのごしゅじんさまだろ!」
 オレはうなるけど、シンドーはゆうびんきょくの入り口でもらったフーセンにむちゅうだ。まったく、コドモなんだから。
「……」
 じつは、ゆらゆらゆれるフーセンも気にならないって言えばウソになる。でもそんなおもちゃより今は。
「ナニ話してんだろ」
 イスミさんと、シンドーのかい主のトーヤは同じがっこうのひとなんだって知ってからあんまりたってない。前からやなかんじの人間だったけど、イスミさんがケイカイしてないのでよけいにアシをバタバタさせたくなっちゃう。
「なあ、ナニ話してんだろ? イスミさんとトーヤ」
「きいてくればいいじゃん」
 シンドーは気軽に言う。くそー。
「こ、ここでマテってゆわれたもんオレ」
「めーれーなんてめんどくさいの、いちいちきいてなくてもいいんじゃないのー? イスミさんってやさいしだろ」
「やさいしじゃなくて、やさしい。オレはシンドーとちがってちゃんとワンコなのっ」
「おれもちゃんとワンコだよー?」
「どこがだよ!」
 シンドーがかい主の役に立ったりしてるとこ、想ぞうもできない。
「……うー、わかんないー!」
 この大きなゆうびんきょくは天井が高くて、人間の話し声といろいろなベルの音とかがごちゃごちゃにはんきょうして二人の話は聞き取れない。
「おれ、きいてきたげようか」
 シンドーが雪がっせんなかまとしてめずらしく言ってくれた。
「たのむ!」
 こういう時のためになかまっているんだよな!
 シンドーは二人のそばにてけてけ歩いていって、トーヤのそばでイスミさんのかおをしばらく見上げてから、戻ってきた。
「なんて言ってた?!」
「んーてがみがなんとかって言ってた」
 ゆうびんきょくだから手紙の話すんのは当たり前だっつの!
「他にはっ」
「なんかねー、イスミさん、トーヤにおねがいしてた」
「……は?」
「なんでもするからって。みたいな」
「……」
 年の低いトーヤに、イスミさんがおねがいするってどういうことなんだろう。なんのおねがいなんだろう。どうしてオレにたのまないんだろう。
 ……ワンコにはできないことなの? オレ、もうひとりでメダマ焼きもできるのに?




 かえりみち、きいてみた。イスミさん、トーヤとなに話してたの?
「ん、学校の事だよ」 そう言って、イスミさんはまっすぐ前を向いたまま。
「がっこうのことってなに?」
「……えらく、聞きたがりだな」
「だってすっげーきになるんだもん」
 なんか、ヤな予感がして。
「色々、新学期の事とかだよ。大したことじゃない」
 でた。
 イスミさんの言う、「たいしたことじゃない」ってけっこーたいしたことなバアイが多いんだよな。イスミさんがカゼひいた時もホウチョウでゆび切ったりした時もそうだった。
「……」
 でもオレ、それ以上きけなかった。シンドーが教えてくれたのをバラしたら、ダチ使って立ち聞きしたのがわかっちゃう。
 代わりに、言った。
「……しんがっきまでに、オレといっぱい遊んでよ、ね?」
 イスミさんはそこで初めてオレを見て、わらってくれた。




「むー……」
「……なんだ、ワヤ」
「しっ」
 庭のきいろい花に、虫がひらひらとんでる。……さっきからねらってるんだけど、なかなか前あしでつかまえられないっ。
「……ちょうちょか」
「ふん!」
 くそ、またダメだったっ!
「菜の花にちょうちょ。春だなあ」
「んがっ! ……あっ」
 小さいハネにツメがかすったと思ったら、そのひらひら虫はオレの届かない青い空に上がってってしまった。
「残念残念」
 イスミさんが、ぜんっぜんザンネンじゃない言い方で、きいろい花をなでる。
「むっ、むかつくあの虫ー!」
 虫が消えた空に向かって吠えた。冬とぜんぜんちがう、明るい空。
「ちょうちょ、って言うんだ」
「ちゃうちゃう?」
「ちょーちょ。あの形の虫の名前」
「ふーん」
「なんだ、興味ないのか?」
 今はちゃうちゃのことより、オレはイスミさんのげんきの方がしんぱい。
「……イスミさん、だいじょぶ?」
「なにが」
 だきつくと、オレのかおはイスミさんのおなかのあたり。
「きのう、ちゃんとねむれた?」
「ああ」
 うそだ。なんどもね返りしてたのを、オレはゆめでおぼえてる。
 さいきん、イスミさんはウソが多い。
「朝ごはんできたぞ、ワヤ」
 あたまをなでて、はなれようとするイスミさんをオレはひっしでつかまえた。
「ワヤ?」
 おなかすっごいへってる。だけど、春だからこうしてたいんだ。 ときどきふく、つよい風にとばされないように。




「イスミさん、だいすきっ」
 むりやり入ったイスミさんのベッドで、いつもと同じに言う。
「……俺もだよ」
 イスミさんもいつもと同じに、あたまをなでなでして言ってくれる。
 でもどこかがちがうんだ。そのことばも声も。
 だきつくと、イスミさんのしんぞうの音はいつもより早い。
「……イスミさん」
「ん?」
「なんか、しんぱいなことある?」
「ないよ」
 すぐ答える。
「うそだ。だって、さいきんヘンだもんイスミさん」
 むねの音が、また変わる。
「……そうか?」
「とぼけないでよ」
「……ここだけの話、大事な試験が近いんだよ」
「……ほんとう?」
「ああ」
 イスミさんのシケンっていつあるのかオレわかんないし。シケンって何かもわかんないけど、がっこうにはつきものらしい。
「じゃあ、早くかえってこれるね!」
 オレがわかるのは、シケンの時はイスミさんが早くかえってくるってことだけだもん。
「おい、大変なんだぞこっちは」
 イスミさんが笑う。
「だって、オレはイスミさんといっしょにあそんだりしたいだけだもん。さんぽとか、春になったからボールなげもできるし」
「ああ、そうだな……」
 イスミさんの声がとおい。あ、オレねむりそう。
「オレね、イスミさんとずっといっしょにいたいんだ……」
「……そうか」
「ずっとだよ……」
 あったかい。イスミさんのへんじをきけないで、オレはねむってしまった。



 それからちょこっとだけたって。
 きょうもはれてキモチイイので、オレはイスミさんをむかえに行くことにした。
 むかえに行かない時の方が少ないんだけどさ。さいしょはなんでかイヤがってたイスミさんも、もうなれちゃったみたい。雨の日にカッパ着ていかなかった時はむちゃくちゃおこられたけど(だってカッパきらいだし雨にぬれるのすきだし)。
「イースーミーさんっ!」
 本がいっぱいあるへやの入り口でほえると、イスミさんと同じ服をきた人がしーってする。
 しまった、またやっちゃった。
「……ワヤ?」
 ふりかえると、サエキさんがいた。サエキさんはこのがっこうの人じゃないけど、本のへやがすきな人。
「こんちは!」
「……今日はイスミ君は……ああ、聞いてないのか」
「え?」
 なにを?
「後で迎えに行くつもりだったんだけどな」 サエキさんがあたまをかく。
 むかえ、ってなに?
「参ったな。ちゃんと言えって言ったのに」
「……なに、を」
「……いや、その、だな。ワヤ、しばらくうちで暮らさないか」
「……なんで?」
 どうしてサエキさんとこなんかに行かないといけないんだよ。
「その……イスミ君はちょっと、用事があって」
 オレんちは、イスミさんのとこなのに。
「遠くに行くんだ」
「……いつ」
「今日だけど……いや、しばらくの話だから、」
「しばらくってどのくらい?」
「あー、まあ何だ、落ち着けワヤ、」
「とおくってどのくらい? なんでオレいっしょじゃないの……?」
 とおくに行くなら、きしゃだ。まだ間に合うかもしれない。
「おいっ、ワヤ!」
 オレは何も見ないで走り出した。




 外灯の下なら、そこだけあたたかい気がしてた。
「……ワヤ」
 せの高いかげがさして、オレの前に立つ。「……帰ろう」
 どこに?
「ワヤ、腹減ってるだろ」
 減ってるかどうかもわかんない。
「……ここにいる」
 ここでイスミさんを待つよ。オレはかおを上げて、サエキさんにわらった。
 イスミさんがオレをおいてくはずないもん。すぐかえってくるもん。いつでもおむかえできるように、ここにいるよ。
「バカ言うな。風邪ひくぞ、さあ」
「っ、やだっ!」
「こら暴れるなワヤっ」
「いーやーだーっ」
「いたたたた!」
 オレはサエキさんのウデをかんで、とび下りた。
「こらワヤっ、俺はイスミ君にお前の事頼まれたんだぞ!」
「しらない! きーてないもんオレ! しらない人についてっちゃダメだってイスミさんゆってたもん!」
「知らないって、あのなあー」
「オレのご主人さまはイスミさんだもん!」
「……」
 サエキさんはオレがかんだウデをさすりながら、だまった。そして、言った。
「……イスミ君は、実家に帰ったんだ」
「じっか?」
「家族の所だ。お父さんに呼ばれて……学校も辞めるかも、知れない。もうワヤの飼い主ではいられなくなる」
「……うそだ」
「……残念だけどな」
「うそだ、うそだっ」
 おいてかれた。
 イスミさんにおいてかれたんだ、オレ。
「うそだあッ!!」
 そんなはずないのに。
 ずっとそばにいるって、ゆったのに。
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