ワヤわんこ
□Rookie-Dog & Rosy-Cat
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雨は好きだけど梅雨の時期は嫌い。
そんな所を知っているのは、一緒に暮らし始めて長くなるから。昔は雨が降ると傘を使わず走り出す事が多くて困った。今は……そんなこと決してない、とは言わないが。
「カビがはえそう。しっぽに」
ワヤは庭に面した窓辺に大の字になってぼやく。大の字といったら、本当に大の字だ。昔はアトリエだったという部屋が小さく感じられる。
「風呂入ってから、ちゃんと乾かしてるか」
「かわかしてるけどさあ……」
「梅雨が済んだら、ワヤの好きな夏だ」
「……うん!」
楽しい季節を思い出したのか、ワヤの機嫌が少々上向いた。
「でも、……ミミの中もなんかじめじめすんだよね……」
「どれ。見せてみろ」
俺は急に心配になって、床に膝をついた。ワヤの獣の耳は、いつの間にか夏毛になっている。
「前にもあっただろうお前、水に入った後にちゃんと耳乾かさないで」
中耳炎になったのだ。あれは数年前、出会って間もなくで、ワヤはまだ少し俺に遠慮していて……発見が遅れた。
そもそも病院嫌いだから都合の悪い事は言いたがらないのだ。
「いいよー、大丈夫だってば。ちょこっとそんなカンジがしただけっ」
俺が触れようとすると、起き上がって逃げる。
「ダメだ、見せろ。聞こえなくなったら困るだろう」
脅しを言うと、窓ガラスに背を預けて、ワヤは条件をつけた。
「……10秒だけ」
「分かった」
身体も大きくなったせいか、ワヤはこの所急に、触れられるのを嫌がる様になった。昔は……。いや、昔の話ばかりするのはよそう。
俺は目をぎゅっとつぶったワヤの耳にそっと触れる。ひっくり返して検分していると、
「っ、も、いい、でしょっ」
ワヤが俺を突き飛ばした。情けないが、一昨年ぐらいからプロレスでこの飼いワンコに勝てない。
「片方がまだだぞ」
「じ、自分で洗面所でみるっ」
「こら、逃げるなワヤ、」
「うもーっ、言わなきゃ良かったっ」
「ワヤ……」
……思春期というやつだろうか。
そのうち、「ウザイ」とか言い出すのだろうか。下の弟の様に……。
「い……イスミさんが悪いんじゃ、ないよっ」
俺の落ち込みを感じとったのか、ワヤが声をかける。逃げた先、ドアの陰から、赤い顔を半分だけ出して。
「イスミさんが悪いんじゃなくて……オレが悪いの。オレのせいなの」
「……何が……どうしたんだ」
熱でも出しているのかも知れない。あの赤い顔は。
「……っ、トイレ行ってくるっ」
「え、ワヤ、ちょっと!」
脱兎の如く、消えてしまったワヤに俺は呆然とした。一体何が起こったんだ。
しかし、人間にある様な反抗期でない事だけは分かった。ワヤは素直で優しいワンコだから、主人を傷つける事はしないのが当たり前だ。
……反抗されたこともあるにはあるが、いつもワヤなりに俺の事を考えてのことだった。
「……だよな」
以前の様にべたべたしてこないのは、少し寂しい気がするけれど。もうそんな接触は、卒業なのだろう。風呂も一人で入る様になったし。
「それが大人になるってことなのか……」
親離れならぬ、飼い主離れの時期なのだ。きっと。
と、その時、俺は軽く考えていた。後悔先に立たずとはこの事だ、全く。
同じ語学クラスを取っているイイジマに苦情を受けたのは、それから数日後の事。講義が終わってすぐに、彼は珍しく俺に声をかけた。
「あのイヌは、あんたのか」
「……え?」
「ちゃんと管理して欲しい。学校に連れてくるのはともかく、あんな風に」
「っ、何かしたのか、ワヤが」
まさか。ありえない。
イイジマは眼鏡の弦を人指し指で上げた。
「食堂に行けばわかる。ヒトとハイブリッドの区別とけじめをきちんとつけさせろ」
「……」
区別とけじめ。イイジマが何を言いたいのか分からなかったが、ともかく俺は食堂に急いだ。
午後の学生食堂は、窓に落ちる雨と一緒にゆったりした時間が流れている。2度ほど見回して、やっとワヤを見つけた。
「……ワヤ」
二人はまるで、カップルの様に見えた。ワヤにしっぽがなければ、犬の耳がなければ。
「イスミ君」
彼女が気付いて手を上げる。もう夏の様な格好だ。
「もう終わった?」
ワヤが悪びれず訊いた。
「……ああ」
「早かったね」
「そうか?」
早く終わったのが残念な様に聞こえるのは、気のせいだ。
「ナセがね、今度すいぞくかん連れて行ってくれるって!」
「ねえイスミ君、ワンコは魚好きなの?」
「ふつうに食べるけどにくの方が好きー」
俺の返事を待たず、ワヤが答えた。
「食べる話じゃないよ、全くもうワヤってば」
ナセは屈託なく笑った。彼女が人気があるのはよくわかる。可愛くて明るいから。
しかし、その可愛さが……ワヤにも通じているとなると話は別だった。イイジマが言ったのは恐らくこのことだったのだ。
「ね、イスミ君も一緒に行こう?」
「いや……」
頭が回らない。少しショックだった。
「飼い主が来ないでどうすんの」
「ねえイスミさんっ、オレ行きたい、でっかい魚見たい! ナセなしでもいいけど」
「ナニそれっ!」
ナセが無邪気なワヤを殴る振りをして、二人で笑う。いたたまれない。
「……ああ、分かった、じゃあそのうち」
絶対ね、と念を押された。
帰り道、ワヤが何か一生懸命しゃべっていたけれど、俺は聞いていなかった。これからどうワヤを育てればいいか、傷つけずにどう正せばいいのか……。
こんな問題が出てくるなんて思わなかった。答えは用意していなかった。
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タイトルは、dog&catとかナントカで「どしゃ降り」って意味という所からです。梅雨だし!