生徒和谷×先生伊角さんパラレル

□先生とそのコイビト
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 電話でなければ、小指を繋いで約束させられていただろう。
「ね! 先生っ」
『あ、ああ……』
 伊角は戸惑いながら頷く。考えた事もなかった、遠い先の話だった。
 本当にそんな時が来るのだろうか?
「あと3年かあー、早く来ないかなあー」
『……3年?』
「約3年っ、もうすぐ誕生日だし俺!」
『ああ、8月だったか』
 電光掲示板は、前駅から電車が出た事を示した。
『どこか……行くか』
 アルコールが意外に回っていたのかも知れない。後になって伊角は思った。
「っ、マジで?!」
 和谷は撤回の間も与えず興奮する。初デートの提案だ。
「ちょ、先生、大丈夫?! 酔ってない?!」
『……大丈夫だって』
 そんな風に疑われると、伊角もムキになってしまう。
『誕生日祝いはしたいと前々から思ってたし』
「明日になったら覚えてないとか……っ」
『失礼な。あ、もう電車が来るから』
 宿題して風呂入ってさっさと寝ろよ、とドリフの歌の様な事を言って、携帯を切る。
 和谷の声は最後まで上ずっていた。遠い所、人の多い所なら二人で出掛けてもきっとバレない、大丈夫だろう。
 大丈夫という事にしておきたい。伊角は今日の昼間の事を思い出して、乗り込んだ電車の扉にため息を吐いた。
 あの後、先輩教師の口から和谷の名前はもう出なかったけれど。飲み会でも普通に、いつも通りで。
 そもそも、和谷がいけないのだ。
 酔客と、サラリーマンの残業疲れが入り混じった空気の中で、昼間握られた手を意識する。楊海先生がすぐそばにいる所で……どうして我慢できないんだ、あいつは。
 自分だって、あの温かい色の髪を撫でたりしたい。まだ子供っぽい柔らかそうな頬にも触ってみたい。
 いつも可愛いなあと思う、大きくてくりくりした目元にキスして抱きしめたり。
 と、思った所で伊角は一気に赤面した。何を考えてる、酔っ払い!
「……」
 ちらっと周りを伺い、誰も百面相を見ていないのに安堵する。車掌が何事もなく次の駅名をアナウンスした。
 今頭の中を見られていたらこの場で羞恥のあまり死ねる。教え子の男子高校生に、よからぬ事をしたいと思っているなんて。
 赤面が取れないまま、伊角は帰宅した。少し残った酒の匂いに感謝しながら。




■ □ ■ □



「早く卒業したーい」
 和谷の大きな独り言に、囲碁部顧問が顔を上げる。空調の効いた部屋の中でも、窓の外からセミの声がガンガン聞こえた。
「今の成績で卒業できんのか」
「しっつれーだな冴木先生っ!」
 ふくれて乱暴に黒石を打った生徒は、午後の授業中の筈だったが。
「サボってこんな所で油売ってちゃなあ」
 自分自身も誉められた学生生活を送っていた訳ではなく、化学教師は多少の悪さには寛容だった。ふらっとやってきた和谷と碁盤に向かい合う位には。
「先生だってサボってんじゃん」
「俺は今の時間、授業ないからいーの」
「伊角先生なら多分、授業なくても机に向かってマジメに書類とか作ってるし」
「あーアレはなあ……」
「アレとか言わないでよもう!」
 冴木は白石を置いた手で凝った肩をさすった。通知表の成績付けが、昨夜やっと終わったのだ。やれやれ。
「……で。何でそんなに生き急ぐんだ」
「単に早く卒業したいだけですって」
 和谷がさっさと黒石を打つ。相変わらず打ち方だけは慎重だ。
「何で」
「何でって……早くオトナになりたいってゆーか」
「大人になったって別に大した事ないぞ」
 義務と気苦労ばっかり増えて、と冴木は教え子相手に少し愚痴をこぼし、白を打つ。
「高校生はいいよ。今のうちだぜ、何も恐れるもんがなくてさ」
「……」
 和谷はしばし黙った。
 恋人の為に早く成長したい気持ちは、誰に何を言われても変わらないけれど。
「……怖い事ない訳じゃ、ないっすよ」
 しかし自分の『怖い事』と伊角の『怖い事』は、いつまでもすれ違うかも知れない。
 誕生日に遊園地、はそんなに大変なお願いだっただろうか。他の候補だって和谷には変わらない様に思えるのに、伊角は留保した。
 性格的な問題は大きい。それだけははっきりしていた。
「まあ十代の時間はやたら長いしな。変化も激しいし」
 冴木は無意識に煙草を探して、最近校内全面禁煙になった事を思い出す。しょうがなくコーヒーを淹れに立ち上がった。
 自分の言葉で少し思い詰めた様な教え子の顔を、見るに忍びなかったので。
「変化……するんすかね。俺も」
 卒業までに。成人式までに。劇的な何かが。
「いや……たまに、全然変わらない奴もいるか」
「ええー!」
「たまにだって」
 何故か教師は、和谷と同学年の塔矢アキラを思い浮かべてしまう。
「……そうだな、多分、和谷は大人になったらいい男になる気もする」
「マジっすか?!」
 人生の先輩の言葉に手放しで喜ぶ生徒に、
「本気にするな」
俺のカンは当たらない、と悪い教師は笑った。
「ちぇーっ」
 それでも、気遣いが少しは役に立ったらしい。コーヒーの匂いが化学教員室に立ち込める。
「あ、冴木先生、ミルクと砂糖ある?」
 気を取り直した和谷が、やっと次の手を打つ音が響いた。




■ □ ■ □



 和谷の希望は遊園地だった。夏休みの遊園地と言えば、人は多いから紛れられるかも知れない。しかし。
「都内じゃないか……」
 伊角はまだ常識的で恐がりなダダをこねていた。
『別にどこの遊園地でもいーんだけどさ』
 候補を挙げて、和谷も恋人らしい正当なダダをこねていた。
『やっぱ憧れなんだよ、遊園地でデート……』
 携帯の向こうに言ってから、和谷は頬をかいた。先生はそんなガキっぽい憧れなんて、ないのかな……ないのかも。
「……だったら少し足をのばした方が」
 伊角の心配は一つしかない。そしてその一つがやたら大きい。
 このままでは誕生日デート自体も危うい。先生から言い出した癖に、やっぱり酔っ払いの言う事は信用ならないと和谷は説得を続ける。
『でも先生、ランドとかシーはガッコの奴に会う可能性あるって』
「ランド?」
 若者の世俗に疎い教師が聞き返すが、和谷は取り合わない。それ位、必死だった。
『夏休みだと皆、友達同士でもいつもよりちょっと遠くに行きたがるだろ。地元の足元の方が、意外と穴場なんだって』
「……それで後楽園……」
『花やしきはヤだよ!』
 補習授業も終わって明日から完全に夏休みだが、伊角は盆まできっちり仕事がある。予定を合わせるのも大変だ。
 それなのに二人は今日も、廊下ですれ違うしかできなかった。メールと電話だけが生命線だ。
 これではまるで。
『ねえ、先生ってば』
「うん……でも」
 電話の声は遠くて。
『……こんなに近くにいるのにさ、なんか遠距離恋愛みたいじゃん、俺たち……』
 たまに姿を見られる分、それが他の先生や生徒と仲良くしてる所だったりする分、エンレンよりよっぽど切なくて悔しい。
 和谷は無意識に鼻をすすった。
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