ワヤスミ本家

□ハピネス
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和谷の機嫌が悪い。
原因は分かっているのだが、伊角としては蒸し返して事態を悪化させたくない。或いは事故だと笑い飛ばせばいいが、それも出来ない気がする。
その昔、ヒカルに軽く嫉妬したのがまだ尾を引いているのかと、伊角は電車の壁にもたれた。
「俺、腹減ったんだけど」
扉の窓から斜めに外を見たまま和谷が言う。手を伸ばせば届く距離につい甘えて、
「いいよ。付き合う」
伊角は和谷の頭を撫でた。
「やめてよ」
振り払われるのはよくある事だ。
「…ごめん」
こちらを見ない、あからさまな拒絶は滅多にない。
平日午後の山手線は、ターミナル駅で大勢の客を吐き出して、また動き出した。
「…何がいい?」
「え?」
「伊角さん何食べたい?」
和谷の見つめる車窓に、薄く色付く桜並木が移ろう。
「…何でもいいよ。和谷が食べたいもので」
いつもながら他の答えは思いつかなかった。



「たまにさー、このソースの味が恋しくなんない?」
2パックめのたこ焼きをきれいに平らげながら、和谷が笑う。
「そうだな。たまにな」
不機嫌の理由の半分は空腹だったのだと、伊角は柔らかな日差しを仰いだ。
二人で座る公園のベンチは暖かい。
冷たい缶の烏龍茶を一口飲んで、和谷は3パックめのたこ焼きに取り掛かった。
「よく食うなあ」
羨望の様な、感嘆の様な思いで伊角も烏龍茶をあおる。
「伊角さんも俺ぐらいの時はこんぐらい食ってなかった?」
「そうだったかな」
「今だって、頑張ればさあ!」
「…そんな事頑張ってもな」
伊角は苦笑して、
「ハタチ過ぎたら、洋食より和食って感じだし」
3つめのたこ焼きを口にした。
「…伊角さん枯れすぎ」
「ステーキより、煮物とか好きになるんだぜ、和谷も」
「うげー」
脅された和谷は舌を出して顔をしかめる。
どろソースの匂いと、花壇に咲く菜の花の青い匂いが混ざっていく。
「…和谷、ここ何かついてる」
ふと気付いた口元を指摘して、伊角は失策を悟った。
「どこ?」
もう既に後の祭りだ。つい先程の和谷の不機嫌の元が、二人の頭に蘇ってしまった。
「…和谷、俺のも食べるか」
と、3パックを完食した和谷に伊角は勧める。
話をそれとなく変えようという伊角の魂胆は見え見えなので、
「うん、貰う。そんで、どこについてるって?」
あくまでも強気に、和谷は尋ねた。
「…あと全部食べきれるか?」
伊角がしらばっくれる。
和谷に渡そうとする手だけを見ている、伊角の顔は感情を露さない。
「全部食べる」
和谷が受け取って、そのまま横に置いた。そうして伊角との間を詰める。
「でもその前にさ」
にじり寄られた伊角は身を引いて、
「何だ」
諦め半分、和谷の瞳に抗しきれない。
「どこについてるか、も一度言って」
「…ここ」
やっと自分の口元を指した。
「ふぅーん」
伊角を見つめる和谷の目は細められる。
「ねぇ伊角さん」
真っ昼間のそう大きくない公園で、和谷はとんでもない事を言い出した。
「ついでだから消毒して」
「…消毒?」
「そう、消毒」
真面目な顔で、和谷が更に伊角を追い詰める。
と、伊角はいきなりぷっと吹き出した。うつ向き口を押さえ、肩を揺らして笑っている。
「っ! ナニ笑ってんの伊角さんっ!」
「…いや、何でも…」
ない、という言葉を裏切り、伊角は和谷と反対を向いて笑いが止まらない。
「〜っ! ねえっ!」
お弁当付きの顔で真剣に、和谷は伊角の腕を掴んだ。
「…あ、いや、ごめん和谷、…っ」
和谷の顔を見てまた爆笑する伊角に、流石に我慢がきかず、
「…」
黙って和谷は立ち上がる。
「…和谷?」
「伊角さんのバカ」
暗い呟きに、
「…和谷、」
伊角はその背を見上げる。
「何が面白いんだよ」
「…ごめん、でも」
「もういいよ。俺、帰る」
「…っ、待て和谷、」
振り返らない和谷の肩を掴み、伊角も立ち上がった。
「俺が悪かった、ただ、」
「もういいってば!」
振り払おうとする和谷を力づくで止まらせ、
「ほら和谷、」
伊角はアイロンのかかったハンカチを取り出す。
「…そんな面白い顔で帰る気か」
小さい子にする様に、和谷の顔を拭った。
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