ワヤスミ本家

□ハピネス
3ページ/3ページ

「ごめんな。消毒は出来ないけど」
途方に暮れた伊角の瞳を見て、和谷も向き直る。
「してよ、消毒」
笑った罰だ、と和谷は要求した。
「進藤にやられたとこ、ちゅーして」
真っ直ぐで本気の台詞に、
「…バイ菌か進藤は」
ツッコむ所は他にもあるが、とりあえず伊角は目をそらす。
「て言うか伊角さん。俺、かなり頭キたんだけど」
ぶつかった歯茎がまだ痛い気がする。
「俺って、伊角さんのものだよね」
疑問より断定の口調で、和谷はそらされた目線をものともしない。
「何であの時怒んなかったんだよ」
「…だって事故だろう。怒るも何も…」
そろそろ集まり出した砂場の親子を気にしながら、伊角は言う。
「大体、誰に怒れって言うんだ…」
「誰にとかじゃなくてさあ、なんか俺、実感できないじゃん、伊角さんの」
大きくなる和谷の声を塞ぎ、かろうじて『愛』という恥ずかしい言葉の流出を止めた。
長子として育つと、兄弟の手前、我慢が多くなる。あらゆる自己主張も自然大人しくなってしまうのだが、それをここで和谷に説明した所でどうしようもない。
「…こういう性格だからなぁ…」
反省も込めた小さな呟きは和谷の耳に届く。
「知ってるよそんなの! それも伊角さんの可愛いとこだけどさ!」
今度は塞ぐ手が間に合わなかった。
「…それでその、…消毒…」
「キスだって」
和谷の怒りや不安はもっともだし、できればそれを無くしてやりたいと思う。もう言葉では足りない段階なのだ。しかし。
「…ここでか?」
遠目で見る、遊ぶ幼児への教育上望ましくない。それ以上に伊角の神経が耐えられない。
「別にいいよ? 嫌なら」
肩をすくめ和谷はベンチに戻り、冷たくなったたこ焼きを手に取る。
「あ」
「…どうした」
「花びら」
のぞくと、たこ焼きの上に薄い色が一片載っていた。
「どこから来たんだろ。桜かな」
「多分…」
「伊角さん、あーんして」
花びら付きを差し出され、思わず伊角は身を引く。
「ほら、あーん」
考えてみれば、いつも自分は引いてばかりだ。素直に思いを表すことも殆どない。和谷にもらっては、返すことを無意識に恐れ、避けようとする。
「…伊角さん?」
プライドと世間体と、臆病で成り立っている世界だ。
「…食べてくれると思わなかった…」
見上げる和谷の目が丸い。
飲み込んで気恥ずかしくなり、伊角は和谷の隣に座った。
「…春だしな」
「意味分かんないよ」
たったそれだけの事を和谷は嬉しがる。
「…食べさせてやろうか」
春のせいだ。
「うそっマジで?!」
「…じゃあ嘘という事で…」
「だめっ、お願いします!」
和谷が頭を垂れてパックを伊角に押し付ける。
「…ちょっと待て和谷」
今なら誰も見ていない。たくさんの菜の花に隠れて、こっちは見えない。
「…消毒完了」
この触れるかどうかの口付けが、どうか和谷のわだかまりを癒して欲しいと思う。
「…マジで…?」
隠さなければと押し込めた嫉妬も。
「食え」
ぽかんと開いた和谷の口に、伊角はたこ焼きを突っ込んだ。
「いふみはんっ、」
「食ってから喋れ」
熱い頬をして、和谷に次々食べさせる。
最後の一つを食べるのが、食べさせるのが、惜しい。
「伊角さん…」
それでも和谷はまず確かめずにいられない。
「…熱ないよね?」
額に既に青年の手をあてられ、伊角は睨む。
「あのな…」
「だってさ、変だよ伊角さん、こんな…」
「たまにはいいかと思ったんだよ!」
ありありと自分のした事を思い起こすと、青空の下にいるのが辛い。まさに穴でも掘って入ろうかと思う。
「花びらのせいかな。俺が伊角さんにあげたやつ」
何もしていないと本当に穴を掘りそうなので、伊角は食べがらを片付け始めた。
「そうかもな」
和谷はお茶を飲みながらベンチに背をもたれ、見渡す。
「もっと降ってこねぇかなあ、あの花びら」
どうするつもりかの答えは分かっているので、
「花頼りか?」
伊角は半ば挑発した。
「…ちぇっ」
口をとがらせる風情はまだ子供だ。
「ああ、伊角さん」
「ん?」
振り向いたのがいけなかった。
「…アオノリついてたから消毒」
口唇を舐め、和谷は伊角の混乱をことさら増幅させる。
「っ、和谷!」
「ごちそうさまーっ」
油断大敵。
ゴミ箱に缶を放って、和谷は逃げ出した。


END***
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ