Lala

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よく晴れた日だった。
だから夜になっても蒸し暑くて、汗が首もとを湿らせる。窓から見える空は夏の星が散らばっていて涼しげだというのに。もし扇風機がなければ‥いや、そんな生活は考えられない。
元希の部屋にある扇風機はごく一般的な、首が左右に動くタイプのものだ。風が自分の元へ当たる瞬間の、ふわりと髪がなびく気持ちよさといったらたまらない。だけど人間用に作られた扇風機が生む風は、以前の私からすると強すぎるものだった。だって、私は7年ほど猫として生活してきたのだから。


「お前誰だ」


だからそんなこと聞かれましても困るんです。私はあなたが飼っていた猫です。車に跳ねられて目を覚ましたら何故か人間になっていたんです。
‥なんてファンタジーみたいなことを言っても絶対に信じてもらえないし。どうしよう。


「私は‥えっと、そのっ!別に怪しいものじゃなくてですね!」
「怪しいものじゃないなら、なんでお前オレの部屋にいんだよ!」
「な、なんでかな?」
「‥‥」
「えへっ」
「えへじゃねーよ!お前不正侵入だぞ!」


ふせいしんにゅー?


「‥不法侵入じゃなくて?」
「‥‥!」
「(元希ってやっぱバカ‥?)」
「どっちだって一緒だろ!」
「いやいやいや」
「うっせーな!」


「とにかく!」と、一段と彼は声を張る。それと同時に扇風機がこっちを向いた。そしてふんわりと私、それから元希の髪を靡かせた。ほんの一瞬の沈黙に息をのむ。吸い込んだ酸素がいつもより少し重たい。


「‥お前、誰だ」


元希の目が、更に少しつり上がる。私はじっと、その目を見つめた。そして一つの祈りをこめる。気付いて欲しい。私が●チビ●だってこと。
でもそれが無理なことは自分が一番よくわかっている。
当たり前だ。気付くわけがない。だから私はまばたきをして、それから再び視線を彼のもとに戻した。


「私、あなたのお姉さんの知り合いなんです」
「ねーちゃんの?」
「いや、その‥お姉さんの知り合いのそのまた知り合いの‥」
「‥‥‥」
「そのまた知り合いの知り合いの知り合いの‥‥」
「‥‥‥」
「またまた知り合いの知り合いの、その知り合いっ!」
「‥‥‥」
「な、なんちゃってー」


今度は彼の目は丸くなった。
つり目の元希が驚いたときに目を丸くすると、まるで猫のようだ。‥まあ元猫の私が言うのもおかしな話ですが。
驚き、そして黙ってしまった彼にどうしていいかわからず、へらっと笑ってみせた。すると息を吹き返したかのように突然こっちに来て、私の頬をつまんだ。い、いたいっ!


「なにがなんちゃってーだ!!今すぐねえちゃんにお前のこときく!」
「い、いひゃいですー!」
「知り合いじゃなきゃすぐ追い出すからな!!」
「えっ!ちょっ!」


追い出すって!そんな!
そのまま立ち上がって、部屋から出ようとする彼に思わず私は手を伸ばした。


行っちゃう‥‥!


伸ばした右手。
反して去ってゆく彼の背中。
やけにスローモーションのようにゆっくりと時間が進む。


デジャヴ。あの時と全く同じだ。自転車に乗って行ってしまう元希に必死で待ってと叫んだあの事故の前と。


待って!
ねぇ元希!待って―――


「待って!!」


床を響かす足音が止まり、静寂が訪れる。私の叫びに、彼は止まったのだ。
届いた‥‥?
あの時届かなかった想い。
待ってという、その言葉。


ずっと、喋りたかった。
どう頑張っても「にゃー」としか言えなかった。人間の言葉を使って元希と話したかった。


伝えたいこと、
たくさんあったから。


だから、どんなに些細なことだって。今元希と話せているという事実が幸せなんだ。


「お前‥何泣いてんだよ」
「へ?」


部屋を出ようとしていたはずの彼は、気付けば目の前にいた。言われるまで気付かずにいたその涙は、言われた途端に溢れ出す。まるでダムが崩壊したかのように。
困った顔をして、私の頬につたう涙を元希は強引に手で拭き取った。


私、泣いてるんだ。
そっか。
人間になったから、泣くことが出来るようになったんだ。


「なんか‥‥悪かった」




やっぱり元希は優しい。
追い出すとか言ったくせに、こうして見捨てずにいてくれるし。私が猫だろうが人間だろうが、やっぱり元希はかわらない。


でもこうやって涙を拭ってもらえるのは人間だけの特権だ。
思えば私はずっと、人間になりたかったのかもしれない。だから、あの事故が何かのきっかけになって私は人間の姿になったのかもしれない。


だけどこんなことが普通じゃないことくらい、わかってる。


いつまでも続くわけがない。



でも、少しだけ‥
折角人間になれたのだから、
せめてあの日の約束を叶えてもらえるまで‥‥‥
少し、だけ‥‥




静かな夏の部屋で、扇風機だけが少しうるさく音をたてていた。

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