◇小説

□復讐の残り香
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ばん、と両手で壁を叩く。
憎しみの篭ったその音は、壁に飲み込まれて消えていく。
後に残るのは、空調の気だるい稼働音。

グンマは暗い瞳で笑い、高松を見上げる。
自分を壁際に追い込んだ狂科学者に、気圧された様子はない。
高松の息が、前髪を揺らす程に、近い。

「脅しても無駄だよ」

視線を外し、笑みを絶やさぬまま、抑揚のない声で言い放つ。

「君に出来るのは脅すことだけだから」

喉の奥から嘲る笑いを引き摺り出せるが、止めた。

「僕を陥れることも、殴ることも、ましてや強引に引き止めることも、君には出来ない」

ぐ、とグンマを壁際に閉じ込める両腕に、力が入る。
壁に弾かれる高松の怒気は、膨らむ。

「あなたをそのような狡猾な人間に育てた覚えはありません」
「君と対等に話し合える人間は数少ない」
「何に対しても真っ向からぶつかる、素直で清廉な方でした」
「僕は常に君の側でそのやり口を学んだ」
「このような陰湿な仕打ちは許せません」
「君がそうさせたんだよ」

時計が六時を告げる。
今夜は家族全員で食事を取る、特別な日。

「君の口から言うかい? 家族の団欒の場で」

今日は、家族が仮初の関係を脱ぎ捨てて、新しい関係を築いた日。

「明日から隠居するって!」

グンマがマジックの息子として生まれ変わった日。

「私は空気が読めない狂人だと思われるでしょうね」
「まあね。団欒をぶち壊すんだから。マジックお父様はきっとかんかんさ」
「そして私は青の一族から邪険にされる」

はっ。

笑った。
嘲笑った。
グンマは淀んだ瞳で高松を見上げる。

「一介の仕官生がここまで登りつめて、一族に大打撃を与えて。
さぞかし気持ちが良かっただろうね。
ルーザー叔父様の復讐だなんて大きな旗を掲げて、出来たことと言えば抵抗もしない子供の運命を狂わせただけ。
一人はずうっと人知れず監禁されて、もう一人は未来の居場所を奪われて。
たった一人の人間の死を偉大にして、尊大にして、ここまで祭り上げた君達の愚かな業。
君が自分を許しても、僕は許さないよ」

黒髪で隠れた表情は、窺い知れない。
怒りを宥めているのか、煮詰めているのか、悔しさに泣いているのか。
それには興味があるかもしれないが、やはりどうでも良かった。

「君の仕打ちを許さないのは僕の方だよ。成り上がりの凡人さん」
「っ」

音が漏れた。
グンマはそれを嗤い、高松の両手の爪が壁に突立てられている音を聞く。
この狂科学者は自分を傷つけられないにしろ、もしかしたら、思わぬ反撃に出るかもしれない。
無表情を貼り付けて、再度口を開く。

「君が言えないなら僕が皆に言うよ。それは、食事の席で判断するから」

ポケットに両手を隠したまま、壁から背を離し、笑いかける。

「手、邪魔」

……。

「何」

……。

「空調が煩くて聞えない」
「……キンタロー様ですか」
「何が」
「キンタロー様のための復讐ですか」

高松は敬愛するルーザーのために。
グンマは生まれたてのキンタローのために。

「僕のためだよ」

邪魔者を刈り取っていく。

「分かりました」

高松の両腕がぎこちなく戻され、両手は静かに拳を作る。
グンマは明らかな挑発の視線を送り、高松の横を抜ける。
扉に手をかけ、スライドし、白衣を翻し退出する。

「キンタロー様のせいですね。グンマ様」

両手は遂に愛しくて憎らしい青年を傷つけることはなかったが。

「絶対に、壊しますから」

怒気も憎悪も悔恨も愛情も、全てを握り締めて。
彼の思い出の残り香を殴り壊した。

「今は離れても、最期にあなたを手に入れるのは……この高松」

翌日。
彼は隠居した。





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