◇小説

□He is
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遠い、少しだけ遠い記憶。
一番僕の近くにいて、一番僕に優しくて、一番僕が好きだった人は、長い黒髪に深い黒の目を持った人だった。

用もないのに見上げれば、彼はいつも極上の微笑みを向けて僕を安心させてくれる。
その時に、ぎゅっと握り返してくれる手がとても温かい。
寂しくて枕を抱いて訪ねれば、何も聞かずに抱き寄せて僕を幸せにしてくれる。
その後に、わざわざ作ってくれたホットミルクがとても甘い。
怪我をしたのに黙ってて恥ずかしいから内緒にしたら、力いっぱいぐいと僕を引き寄せた。
練習したはずの逆上がりができなくて、落ちて擦りむいたのに。
彼はあたふたと慌てながら僕が断るのも聞かずに治療を始めたんだ。

でも研究室に忍び込んで工具をいじっていたら、背後から現れて頬を叩かれた。
じんと広がった痛みに、僕は泣いていた。

それでも、僕は彼が好きだった。



全ては遠い遠い記憶。



僕の何回目かの誕生日、高松は僕の手をぎゅっと握って口の端をつり上げて笑い返してくれて。
その夜、高松が作ってくれたココアは甘過ぎて。
コップを割って血を浮かべた僕の右手を慣れたように手際良く治療した。

でも、研究室に潜り込んでフラスコ内の液体を零してしまった時、高松は僕を腕でなぎ払った。



どうして?
どうして高松?
僕はそう言って、それでもぼんやり気づいてしまったんだ。
高松は僕のことが嫌いなんでしょう?



僕は僕の罪を思い出して、一晩中部屋に籠もって泣いてしまった。
次の日の朝食を真っ赤に腫らした両目のまんまで食べたら、高松は大人気なかったと謝ってくれた。
そして差し出した大きなプリンを見たら、高松のことがまた大好きになった。



だから僕も正直に話した。
僕の罪の話を。
僕の何回目かの誕生日の前日に、彼の眼鏡を誤って壊してしまったこと。
それを隠していたこと。
高松は丁寧に定期的な相槌を入れて、ぽんぽんと頭を叩きながらそっぽを向いて、穏やかで投げやりな言葉で許してくれた。
ちゃんと仲直りできたことで、僕は高松が大好きになった。




ねえ、高松。




発明が得意で温かな笑顔がお似合いで味覚が狂う程の甘党で。
常に僕の側にいた眼鏡が特徴の彼は……誰?
僕の何回目かの誕生日に研究室から運び出された白い大きな袋。
君の指示で捨てられたあれは……何?



全ては遠い記憶。



一介の家庭教師にその座を奪われた、本当の後見人の記憶。



<END>

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