◇小説
□不思議の国の
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決して、考えてはいけない。
決して、立ち止まってはいけない。
決して、振り返ってはいけない。
ここは、夢の世界なのだから。
だから……進め。
怖がらずに進め。
目が、覚めた。
ひんやりとした空気が目にしみて、僕は慌てて両目を瞑る。
目にごみが入ったわけじゃない。そういう場合は、急いで異物を外へ流さなければいけないと高松が言っていたけど。
恐る恐る瞼を上げても、両目に入り込んだ異物は未だに視界いっぱいに広がっていた。
「どこ、ここ……」
朽ち果てた戦場が、僕の世界に広がっていた。
しかし瞬時に、混乱する頭を冷却して再稼働する。
考えろ。
戦場は、僕らガンマ団の日常だ。
「た、確かに昨日まではシンちゃん達がどこかの国と戦っていて、本部は大忙しだった。でも、僕はずっと研究室にいて、修羅場みたいに喧騒に包まれたって言っても物理的な暴力なんかなくて」
いけない。
口を回しているうちに、頭まで回ってきてしまった。
渦を描きながら頭の中を走り回る感情と理性に、唸りながらもこめかみを強く押さえる。
はらり。
「…あれ?」
今視界で何かが動いたような気が……?
「ん?」
僕は両手を太陽へ伸ばす。
小首を傾げて今度はその場でくるりと回ると、ふわりとそれらも回る。
うん。やっぱり。
「僕、エプロンドレス着てるね」
にっこりと笑った。
「……あはは。可愛いドレスだね。コタローちゃんに似合いそうだよ」
明らかに場違いなノリで素直な感想を言い、奥歯を噛み締める。
「勝利の女神ってこんな感じなのかなぁ」
複雑な思いを込めて地面を足で蹴りつける。
だって、こうでもしないと、
「ふふっ。僕ってお茶目さん☆」
「全くですよ」
叫んじゃうじゃないか。
「ぎゃああああああああああああ!!!!」
背後から突然の気配を感じて、猛烈な勢いで飛び出す。
今何かが話しかけた。
確実に話しかけた!
僕は恐怖で爆発しそうな心臓を抱えて、無我夢中で前進した。
足場が悪くて、何度も転がりそうになる。
河原のように不揃いな小石ばかりで、靴越しでも足が痛い。
見える限りでは死体はなかった。
それがせめてもの救いで、僕は苦痛に耐えながら走り続けた。
暫くして、景色に違いが出た。
朽ちて一色だった世界に、七色の輝きが現れた。
そこで、僕は立ち止まる。
背後には気配も足音もない。
呼気に乱れがないことに不安を覚えつつも、僕はその光りを見上げた。
ぼんぼりのように咲き渡る無数の花々が、朝露を乗せながら甘い香りを放っている。
「おいしそう」
つい、そう口にして、はっと息を呑む。
がらりと世界を塗り替えた花々と僕の間には、随分と幅のある川が広がっていたのだ。
そして不幸が畳み掛けるように、僕は瞬時に背後を振り返る。
「地獄へようこそ」
「!?」
そう声がして、僕の視界が黒く染まる。
同時に、温度のない指が僕の首を捉えた。
「……歓迎はしませんけどね」
それは低く、死神のような声だった。