09/13の日記

01:24
ミサ開催に関するこれまでのあらすじ
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中目黒くん開催のミサが近い。
思えば、僕たちはそれに向けて多種多様な準備を余儀なくされてきた。
例えばNATOの介入を防ぐための事前交渉、例えば軍事的な事態が発動した時に備えた装備拡充、例えばロスチャイルド家へのあいさつ回り、例えば徳川埋蔵金発掘作業、例えばPS4の購入、例えばミサの会場となるお店の予約等など。
これらの内一つを除いたの項目が力及ばず無駄骨に終わったが、お店の予約だけはK氏のご尽力で何とか達成できた。この会場確保のためにどれだけの金が消費され、そしてどれだけの血が流れたのか、残念ながら今の僕たちには計数することすら叶わない。
つまり僕たちにできる弔いはこの世から姿を消していったその犠牲に思いを馳せることと、ミサを誰もが納得できる形で完遂することだけってことだ。
勿論、それにはいろんなリスクが伴う。条約機構が「逆らえば、メイプルシロップを、まぶす」と突然外交圧力を以てしてミサの解散を迫ってきたり、PKOの一環として最新式の装備をジャラジャラぶら下げた多国籍軍がカーペンターズのSINGを口ずさみながら無反動砲をオーバーキル気味な物量でぶちかまして来たり、僕が人類史に残るレベルでモテないのはやっぱり旧財閥の陰謀が原因だったことが判明したり、埋蔵金なんて普通になかったり、MGSVがPS4でしかリリースされなかったりするかもしれない。
だけど、それでも、僕たちに負けることは許されない。何故って、ミサとはそういうものだからだ。行うべくして崇める。そこに理屈なんて関係ない。
そしてまた、弔うとは意思によってしかその根拠を確立できない単なる愚行だからだ。僕たちが負けた瞬間、つまりその心が折れた瞬間、犠牲になったモノ達の命の残滓は、今度こそ本当に風の行方に攫われる。
ああ、何て、無謀。なんて、袋小路。僕たちは自分自身の存在を確認するために、正にその存在が背負ったカルマに身体を焼き尽くされてしまうのだ。その姿は蝋で固めた羽根で空に舞ったイカロスなどよりも、
走光性という本能の為に火炎に身を投げる一匹の蛾に近い。
僕らは、醜い最後を晒すことになるかもしれない。最後に残るものは鼻につく、焼け爛れた肉の臭気かもしれない。
だけど、覚悟は決まっている。何故なら、それが、ミサというものだからだ。

2014年9月14日。僕らは、覚悟とお肉を、火にくべる。

K氏、本当にお世話になりました…。

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