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□君へ
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君 へ






どうかあの魂を救って下さい


綺麗な
幼い魂を、どうか──








ふわりと宙に浮く柔らかな一枚を、血に塗れた手で掴む。

輝く羽根は誰の物かも分からない赤を吸い込むことなく、ただ淡く光を放っていた。



「あそこだ!!!」

残党が、まだ残っていた。
とうに殺し尽くしたと思っていたが人間とはしぶとい生き物で、斬っても斬っても湧いて出て来る。


飛び道具は、所持していない。

数も、少ない。


ただそちらへと身体を向け、無防備とも言える姿勢で向こうから間合いを詰めて来るのを待つ。


動かない小狼に、手にした剣を突き出す様に構えて走って来たその切っ先が触れる直前に、相手の肩口目がけて緋炎を振り下ろそうとした瞬間、



『ダメよ』



耳元でした聞き覚えのある声に、咄嗟に剣先を変え、身体に刺さろうとする剣を叩き落とした。


後ろを振り返るが、誰もいない。


血溜まりのこの場に似付かわしくない、優しい、それでいて悲し気なあの声は確かに──。



斜め後方を向き、こちらなど目に入らない様子の少年に、向かって来た男達はたじろぐ。


だが、ただの子供だと侮ってはならない事は重々承知していた。

ただの、一人で迷い込んだ子供ならば、今この惨事には至らなかった筈なのだから。


とても体格が良いとは言えない少年たった一人に、街一つが瓦礫の山と化してしまった。



どうせ、正攻法では勝ち目がない。

覚悟を決め、その場数人が全員一斉に切り掛かった。


間一髪、と言うには余裕のあり過ぎる動きで、緋炎を空に向けて切り上げる。

斬跡から炎が吹き出し、彼らを包んだ。


当然の如く足を止め慌てふためく男達に再び刀を振り上げると



『彼らを、殺してはダメ』



脳裏に、少女の姿が浮かぶ。
名前も、それが誰であったのかも思い出すことが出来ない。


薄く開いた少年の唇から、ち、と忌々し気な音が漏れた。


けれどそれだけで、諦めた様にくるりと向きを変え、焦る素振りも見せずにあっさりと男達に背を向け歩き出す。



その姿が木々の陰に消えるか消えないかの瞬間に、ようやく燃え盛る炎から抜け出した一人が弓を構え、一矢を放った。




気が散っていた。

声の主を思い出そうとして、掬い上げようとする度零れ落ちる記憶を掻き集めていたから。




常ならば、ありえない。

しかし男の放った矢は、小狼の左脚へと深く突き刺さり、彼はバランスを崩した。

その隙を逃すまいとすかさず飛ばされた二矢目に、更に右肩を直撃された。



崩れた体勢に衝撃を受け、少年は地へと倒れ込む。


それでも、痛みを感じることの無い体に、思考は少女の面影を拾い集めていた。





ああ、あれは、あの姿は。声は。

唯一、自分の求めるもの。



あの言葉は、紛れもなく彼女が以前自分へと向けたもの。





──アイタイ



アナタに。




止めて欲しい。

もう壊すことしか出来ないこの手を、あの時の様に、その穢れない白い手で触れて。


その存在だけが、この糸を断ち切ってくれる。

その微笑みだけが、この躰を、ただ無垢な子供へと帰してくれる。





贖うから──






その場へと倒れ伏した小狼に、矢を射た男が追い付いた。


やっと、捉えた。


家族を、知人を、人々の命を灰へと変えてしまった、子供の姿を借りた悪魔を。


打ち震える様な思いを剣に込め、真っ直ぐ突き刺さそうとした瞬間に
男の腕は、胴と分かたれた。




緋炎を握った腕を支えに、少年はゆっくりと立ち上がった。


片腕を切り離され藻掻き喚く男を一瞥し、興味も無さそうに立ち去った。












右手が機能しない状態では荷物にしかならない緋炎を消し、小狼は別段目的もなく切り立った崖の淵へと座り込んでいた。







贖う。


いくらでも。


神などではなく運命などではなく、アナタにならば、いくらだって──。






天に、満月が昇っていた。

まるで、そこが自分の目指すべき場所であると指し示すかの様に。




青白い月光。
ガラス越しに射し込む光の元で、同じ様に白い腕に抱き締められて眠ったのに。

あんなにも安らかに。



なのに、その名を、手繰り寄せる事が出来なかった。

いくら拾い上げても、零れ落ちる。

こんなにも求めているのに。
狂おしいほどに。



その腕に還りたいとどんなに願っても、もう戻る事は無いと、知っている。



還りたい



還りたい。



消えるのならば、その腕の中で。




知らない感情。

知っている筈の感覚。

それら全てを、アナタは与えてくれていたのに。




戻りたい。


戻れない。




『悲しい?』




知らない…。

そんな感情を自分は持たない。
知らない。


分からないんだ。


思い出せない。



言葉が、記憶が、渦を巻いて頭が割れそうだった。


いっそ、割れてしまえばいい。





出口を失った行き場のない思いに、意味も知らないまま小狼は声無き咆哮を上げた。





伏せられた瞼から一筋、雫が零れ落ちる。




音の紡がれる事無く形取られた唇は、彼女の名であるのか贖罪の言葉なのか。




答えを、誰も知る事は無い。


彼自身さえも。







END



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