まるマ
□メランコリック
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電話が鳴る。
『ミス・エイプリル・グレイブスをお願いします』という、あまり愛想の良くないあなたの声が耳に届く。
「……私よ」
幸せな気持ちを精一杯押し殺して、こちらも無愛想に応える。本当はもっと可愛らしく返事をしたい。だけど、素直になれないのだから仕方がない。
それに、あんな別れ方をしてしまった手前、気まずいというのもあった。
『ああ、君か。その後、体調はどうだ?』
「ええ…うん。もう平気」
ありがとう、とは言えなかった。
先日、友人二人とディナーに行った。友人というのは、とあるフランス人軍医と、とあるドイツ人将校――電話の相手、リヒャルト・デューター。
忙しい中でも予定を合わせ、食事に行くことは今までにも何回かあった。それはランチであったり、ディナーであったり、日によってまちまちだ。私は彼らが好きだったし、三人での食事は私の楽しみでもあった。
その食事の途中、私は体調不良を起こしたのだ。何だか頭がボーっとして、悪寒がする。つまりは風邪だった。「今日のところは失礼するわ」と言って途中退席させて貰ったのが一週間前。二人は「送る」と言ってくれたけれど、それを頑なに断った。
風邪なんて嘘だった。
ただ、居たたまれなくなっただけだ。彼の傍に居ることが。ごく最近までは確かに“友人”だった。しかし私は気づいてしまった。私は、彼が…
彼のことが……
『本当に大丈夫か?』
何が、と思った。
「何が?」
『何がって…風邪が、だ。本当にもう平気なのか?』
「平気だってば。何、そんなに心配してくれてるわけ?」
いつもみたいに、上手く軽口が叩けている気がしない。体調不良はあながち嘘でもないらしい。そうやってやきもきしている私に返って来たのは、『当たり前だ』というぶっきらぼうな優しさだった。
「…」
『元気が無いな。どうせまた休養も取らずにうろちょろしていたんだろう。まったく、そういうところが子供だって言うんだ。安静にして……と、今君を引き止めているのは俺だな。すまない。では……』
ああ、切らないで。
「か、風邪は本当に治ったのよ。元気が無いとしたら、アレだわ。母が仕向けて来た見合い相手の男が、見るからにつまらなそうな人で、“ああ、こんなのと会わなきゃいけないんだわ私”って毎日憂鬱なの。もう、今にも泣きそう」
実際に見合いの話は来ているし、これは嘘じゃない――と、私は自分に言い聞かせる。一部脚色があるとすれば、“毎日憂鬱”なんかじゃないってことだ。興味の無い人に思考を割く程私の脳内は暇じゃないし、そんな見合いの話、今の今まで忘れていた。
彼の声をもっと聴いていたい私の、とっさの言い訳。
『…会うのか?』
少し不機嫌そうに訊かれた。「会うわよ」
『そうか』
「今度の日曜日にね。でも多分…断る」
多分、じゃない。絶対断る。本当なら今すぐ断りたい。けれど勿論、そんなことはお母様が許さない。
『そうか』
さっきより幾分機嫌の良さそうな声だった。受話器の向こうで、ドイツ人が笑った――気がした。
「リヒャルト…」
『ん?』
名前を呼べば、応えてくれる。小言を言えば、小言で返してくれる。体調を崩せばこうやって心配してくれるし、家まで送ると申し出てくれる。あなたは優しいから、友人をこんなにも大切にする。
でもね、それではもう足りないの。
「リヒャルト…」
私ね、夢を見たの。そこにあなたが出てきたの。私、凄く幸せだったの。その時やっと気づいたの。ずっと特別だったの。
私ね、あなたが好きなの。
『エイプリル』
グレイブス、でないのが少し嬉しかった。
『今度改めて食事に行こう。たまには、二人で』
「どうして?」と思うのと、「いつ?」と口にするのは同時だった。
『そうだな…今度の日曜日なんてどうだ?』
彼はきっと、子供が悪戯を仕出かした時のように笑っている。
ああもう、どうしてそんなに嬉しいことばかり言うの?
また眠れなくなるじゃない。
メランコリック
結ばれるのも時間の問題!