まるマ
□好きだ
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本人の前で泣き出したのはまずかった。
あんなの誰だって気に掛かる。後を追い掛けて来るっていうのが全く彼らしいけれど。
でも、今は放っておいて欲しかった。特に、彼には。
急に込み上げてくるものがあって、そのまま堪えきれずに泣いてしまった。何かきっかけがあった訳でも無かったと思う。いや、あったのかもしれないが、それを言うなら多分、今までに何回も、それはあったのだ。
じわり視界が歪んだかと思うと、次の瞬間には僕は走り出していた。それを渋谷に追われているという状況だ。
人混みの中を逃げている筈なのに、僕の耳が彼の声ばかりを拾うものだから、もう前なんて見えなかった。おそらく顔もぐしゃぐしゃだったと思う。
頼むから――
頼むからもう追ってこないでくれと。名前を呼ばないでくれと。友達みたいに気に掛けないでくれと。
そんなことを思いながら――
「村田!?」
僕は転んだ。
僕は、生まれて初めて消えたくなった。街中でド派手に転んだからじゃない。――ついに、渋谷に追いつかれてしまった。
「――大丈夫か?」
彼は、そう声を掛けてきた。
「…大丈夫じゃない」
うつ伏せに倒れたまま、僕は応えた。全然大丈夫じゃない。顔すら上げられない。
「なぁ、とりあえず起き上がれって。踏んづけられるぞ」
「良い。踏んづけられても、知らない。僕のことは放っておいてくれ」
「…顔も見たくないってんなら消えるけどさ。なぁ、顔上げてくれよ」
「…」
そんなことを言われたら、僕は顔を上げるしかなかった。
「顔は…出来れば見たいかな……」
一瞬、この先ずっと、彼の顔を見ることのない生活を考えた。いや、正確には考えてはいない。
考えられなかった。そんなの考えられない。彼のいない生活なんて、考えられない。それほどまでに、彼は僕の傍にいた。
そんな訳で、僕は起き上がった。
「…」
「…」
「何、泣いてんの?」
「…」
立ち上がったものの、だからといって、彼の顔を見られる筈もなく。二度と顔を見られないなんて耐えられないとか言いながら、今、彼の顔を見れていない。じっと、地面を見詰めている。気まずいどころの話じゃない。
「…何で、追い掛けてきたりしたんだ」
「そりゃあ、村田が逃げるからだろ」
「放っといてくれたら良かった」
「何で泣いてんの?」
どうやら渋谷は、何としてでも問い詰めるつもりでいるようだ。会話が成立していない。
僕は観念することにした。
というより、吐き出してしまおうと思ったというのが正しい。
「涙が出るもんなんだよ…」愚痴でもこぼすみたいに呟いた。「――本当の好きって」
再び、僕の視界が歪んだ。
彼の声ばかり耳に入った。追い掛けて来てくれて、心のどこかでホッとした。友達みたいに優しくされるのが辛くなった。ずっと傍にいてほしいと思った。ずっと傍にいたいと思った。
今まで何度も、きっかけはあったのに。僕は今さら気がついた。
渋谷を好きだってことに。
「知ってる」
驚いて、顔を上げる。
彼も泣いてた。
fin.