お題集
□通り雨
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「あ」
二人が声を上げるのは同時であった。
「やあ、渋谷じゃないか」
「村田!なに、お前も傘忘れたの?」
「そうなんだよー。今日、雨降るなんて言ってた?」
そう言って村田は、水しぶきを気休め程度に払い、降りしきる雨を見上げた。有利も同じく空に視線を移す。そして密かに、この雨に感謝をした。
二人が登下校中に遭遇するのは初めてのことだった。同じように高校生であるものの、やはり学校によって微妙にスケジュールが違うのだし、人にはそれぞれ生活サイクルというものがある。
それに有利は自転車登校で、いつもならとっくに家に着いている時間だった。今ここにいるのは、突然の雨に雨宿りしていたからで、村田に会えたのも雨のおかげ。
(雨が降ってきて良かった)
有利は小さくガッツポーズをした。
「ほんと参っちゃうよ。僕が学校出た途端、降り出すんだもん。何のいじめかと思った。僕ん家までもうすぐだし、ここまで来たら急いで帰れば良いかなーとは思ったんだけど、まあ濡れたくないよねー。あ、使う?」
そう言って村田は、友人にタオルを差し出した。
「ていうか渋谷、濡れすぎじゃない? どうしたの」
「いやあ、小雨だったし、自転車でぱーっと帰ろうと思ったら、だんだん本降りになって来ちゃって」
だからこそ雨宿りする気にもなったのだけれど。
「それにタオルなら――」
「持ってるの!?」
確かお袋に持たされた筈だ。
有利は鞄を探り出した。すると――
「あ」
「え、何?」
有利は一瞬硬直する。今更、あるものを発見してしまった。今日は傘を忘れたと思っていたのに。
鞄の奥底に、折り畳み傘が、一本。
「渋谷?」
「あ、いや、何でも…」
ここで、有利の中に一つの葛藤が生まれる。
“折り畳み傘を使うか、否か。”
傘を発見したのだから、当然それを使うべきと考えるだろう。有利もそう思った。しかし、自分一人、悠々と帰る訳にはいかない。帰るなら隣人も一緒に、だ。
それ自体は、有利にとって何の苦でもない。むしろ喜ばしいことだ。だからこそ、躊躇いが生まれる。
彼が躊躇しているのは、一本の傘を二人で使うこと――すなわち、相合い傘。そしてそれを言い出すこと。
同性同士、親友と傘を分け合うことなど、本来ならば何の気掛かりも無いことだ。しかし彼には下心があり、それが逆に、有利に傘の共有を申し出ることを渋らせていた。
――傘を持ってたみたいでさ。ほんと、今更アホみたいだよな。何で今まで気付かなかったんだろう。ははは。あ、良かったら入ってく?
これが果たして、友人に掛ける自然な言葉に聞こえるかどうか…。下心十割な有利には判断しかねた。やましくないと言えばやましくないのだが、やましいと言えば大変やましい。
それでもやはり、純粋な下心が勝って、「早く家に帰って着替えたいから」「村田も困ってるから」などと都合の良い言い訳をして、有利はやっと口を開いた。
「あのさ…」
「あ!」
同時に、村田が声を上げた。周りが急に明るんで行く。
「晴れてきた!どうやら通り雨だねえー」
「あ、ああ…」
力無くそう応えて、有利は鞄の中で握り締めていた折り畳み傘を手放した。幸せな妄想が、パチン、と弾けた。
「これでやっと帰れる…って、何か言った?」
「いや、別に…」
空が明るむ一方で、有利の気持ちは沈んでしまった。
せっかく村田に会えたのに、晴れてしまっては、ここにいる意味がない。そう思うと、有利はなんだか情けなくなった。
もっと一緒にいたい。もっと話をしたい。もっと彼を見ていたい。もっともっと、彼に近づきたい。
そんなことが言える筈もなく。
「雨も上がったことだし、さっさと帰ろうぜ。早く着替えないと風邪引くし」
有利はやさぐれたように早口で言った。早くこの場を離れたかった。そして早く、部屋でめそめそしたかった。
「それじゃあ――」
「あー…渋谷」
それじゃあ、また。
と言い掛けた有利を、村田が何故か引き留めた。珍しく、歯切れが悪い。
「あの…さ、僕ん家ここから近いんだけど、良かったら…」
有利は首を傾げた。訝しげに友人を見詰める。
「良かったら…シャワーでも浴びてかない?」
いや、無理にとは言わないけどさ。
と言葉を濁す村田とは対照的に、その友人に迷いは無く。
「行く」
雨はもう、すっかり上がってしまっていた。
10.8.6