あいのうた
□異変
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「はい」
体を起こして返事をする。それから部屋の電気を点けた。
王様専用のこの部屋は、無駄に広いだけでなく、無駄にゴージャスだった。ベッドはシルクでさらっさらだし、壁は大理石でキラッキラだし。厚くて立派な木の扉は、開く度に年季の入った音がする。そして重々しかった。
だからという訳ではないだろうが、扉が開く様子は無かった。用件が述べられる気配も無く、不思議に思ったおれは、もう一度「どうぞ」と返事をした。
「しつれいしまぁす…」
そろそろと扉が開いた。ギイッと音が鳴る。てっきりコンラッドや一般兵の方が顔を出すと思っていたおれは、その声に驚いて視線を下げた。
噂をすれば、影。
「グレタ?」
自然と頬が緩む。訪ねて来たのはグレタだった。目を伏せて、扉から顔だけを出している。
「ユーリ…」
「どうした、グレタ? そんな所にいないで、入って来いよ」
そう促すと、グレタはおずおずと部屋に入った。そこでおれはある事に気付く。
「そんな格好で歩いて来たのか?」
彼女はヴォルフとお揃い(?)のネグリジェを着て、枕を抱き締めていた。昼間こそ暖かい季節だが、夜中である今は城の廊下もそれなりに冷える筈で、グレタの格好は決して暖かいものとは思えなかった。見ているこっちがぶるっとしてしまう。
しかしグレタは、震える代わりにもじもじしていた。両腕で枕をぎゅっと抱き締めている。
「風邪引いちゃうぞ。ほら」
慌ててグレタをベッドに招く。
「あの…」
もじもじしながら、グレタは今度は上目遣いにこちらを見始めたので、おれは平静を装わなくてはならなくなった。
な、何かな?
「その……」
枕を抱き締める手に力が込められる。
えっ、まさか………
「…今日、一緒に寝ても良い?」
ずきゅーん。
この寒い中、愛する娘がおれを訪ねて来てくれました。その上一緒に寝たいだって。嬉しすぎて泣きそうだ。
「眠れないのか?」
「ううん。でも…怖い夢を見るんだよ。だからユーリの傍にいたいの」
泣いても良いだろうか。
「駄目な訳ないだろ!さあ、おいで」
グレタはぱっと笑顔になった。しかし、腕を広げて待ち構えるおれをよそに、何故か彼女は喜びを押し殺したような顔になり、
「ありがとうございます」
「何で敬語!?」
出端を挫かれた気分だ。
「どんな時でも、誰かを敬う気持ちは忘れちゃいけないって、アニシナが言ってたの」
「アニシナさんが…」
彼女の辞書にも「尊敬」という言葉はあるらしい。
「まあ確かに、親しき仲にも礼儀ありとは言うけど…」
「“れいじ”ってだれー? 男?」
「変な言葉覚えるの止めなさい。あのな、グレタ」
お姫様をベッドに上げてやる。今までおれがいた場所、暖まっている所を彼女に譲る。
「確かに尊敬っていうのは大事だけど、おれに対してはそんな言葉遣いしなくて良いんだよ」
「どうして?」
「だって家族だろ? 家族はそれだけで尊敬し合ってるから、わざわざ敬語なんて使わなくて良いんだ」
「ふーん。分かった。グレタもうユーリに敬語使わない」
頭を撫でると、グレタは人懐っこそうに笑った。おれもつられて笑顔になる。ほら、やっぱりいつもと変わらない。
明かりを小さくして、グレタに首まで布団をかけてやる。「おやすみ」を言おうと目を合わせると、まだ何か言いたげにおれを見詰めていた。
「どうした? 何かお話でもしてやろうか?」
野球の話しか出来ないけど。
「ううん。ねぇユーリ、まだ向こうの世界に帰らないよね?」
グレタが不安そうな声で尋ねてきて、おれもつられて不安になる。
「うん、多分…いや絶対!しばらくはこっちにいるよ」
取って付けたようなおれの言葉でも、グレタはいくらか安堵したようだった。ほんの少し、表情が和らぐ。
「グレタ、ユーリが帰って来てくれて嬉しい。あのね、グレタね……」
眠いのを我慢していたのか、言いながら、グレタの目蓋が閉じていく。
「ユーリの事、大好き…だよ……」
ついには眠ってしまった。おれは呆然と、薄明かりに浮かぶその寝顔を見詰めた。
少女の言葉は勿論嬉しかったけれど、あまりに唐突な告白に、おれの不安は消えずに残った。そして、追い討ちをかけるようにヴォルフラムの言葉が蘇ってくる。
――グレタの様子がおかしい。
おれの目の前で寝息を立てる少女の姿は、一見いつもと変わらない。でもなるほど。
確かに、様子が……