*学園*
□風をつかまえて
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放課後のグラウンドに、春の強い風が吹き抜けた。
グラウンドの隅で舞い上がる砂に目を細めていた。
そんな俺の元に、真新しいジャージ姿でやってきたのは、この春からうちの部の副顧問になるらしい新人教師だった。
入部希望の新入生に混じってやって来たから、そのまんま新入生かと思った。
飢えた野生児達は大喜びだ。早速新人教師をちやほやしてる。女っけのない男子高では、さぞかしいい思いが出来そうな新人教師の女々しい容姿が、俺は何となく気に入らない。
「君が部長の新田君?」
アイドルよろしく金魚のフンを引き連れて新人教師が俺に声をかけて来た。俺は靴紐をぎゅっと結び終え、尻の砂を叩きながら立ち上がった。
「陸上競技部の副顧問になった橘川です。あの…よろしく」
手を差し出してきたけど、おずおずといった風なのは、俺が仏頂面で睨んでいるからだ。
「……あんた、経験あんの?」
「え?」
「走ったりしたことあるのかって聞いてんの」
筋肉とは無縁そうな細い身体。日焼けなんかもしたことが無さそうな白い肌。
「陸上競技の経験は無いけど…」
「あっそ」
俺は新人教師…橘川先生が差し出してきた手は無視して、周りのやつらに声をかけた。
「始めるぞ。集合」
俺の言葉を部員の一人が拡声器代わりになって叫ぶ。
「しゅーーごーー!!」
グラウンドに散らばっていた部員たちがダッシュの勢いで集まって来た。
チラッと俺の横を見ると、橘川先生は、握り返してもらえなかった手の平をようやく引っ込めたところだ。
「……入部希望者で練習に交じってやりたい奴は混ざってもらっていい。短距離と中長距離の希望があれば…」
「あ、あのっ!」
俺の説明を遮ったのは橘川先生だ。
「副顧問の橘川です!今日は顧問の先生は遅れて来るそうなので……」
そんなこと言うために邪魔してきたのかと睨みつけた。ちらりと俺を見たような気がしたけど、橘川先生は続ける。
「怪我のないように頑張ってください」
それだけ?
そんだけを言うために?
こいつのでしゃばりに無性にいらついた。
「アップは全員でいく。行くぞ」
橘川先生を置いて、俺は部員を引き連れてトラックへと走り出した。
練習中はすっかり存在を忘れてしまっていたこいつが、休憩に入ったとたんに俺の横に居た。水道の蛇口を止め、シャツを引っ張って顔を拭おうとする俺を見て笑ったので、またカチンと来た。差し出してきたタオルを無視してそのままシャツで顔を拭った。
「なんだよ」
「新田君、右足、痛めてる?」
「え?」
俺は思わず自分の足に視線を落とした。
右の足首のことだろうか?今では違和感すら感じないが、中学の時に酷くねん挫したことがあった。庇った走りをしているつもりもなかったが。
「別に…」
「ちゃんとケアした方がいいね。今度マッサージしてあげるよ」
橘川先生が俺の足元にしゃがみ込み、俺の足首に触れた。低い体勢から俺を見上げる。
「俺、走ったりは出来ないけど、ケアの方は大学時代、勉強してたから」
橘川先生が俺の足首をぐっと握った。
「いてっ」
「あは。こってるね。そのうち時間を見つけて…」
無性に照れ臭くなって、慌てて足を引いた。
「休憩終わりだから…」
「ん。頑張ってね」
余計なことを言われたもんだから、走りながら右足が気になってしまった。
なんか……熱を帯びたみたいに……触られた場所が気になってしまった。
くそっ。なんだってんだ。
だけど、息が上がって来たときに、俺に向かって手を振る姿が目に入って、足首の痛みも、苦しい呼吸も忘れてしまった。
「新田、自己ベストじゃん!」
ゴールで見せられたストップウォッチに複雑な気持ちになる。
なぜか探した橘川先生は、俺のタイムを見てくれもしないで他のやつらと楽しそうに笑っていた。
自己ベストがつまらなく思えてしまった。
風が……。
遠くで笑う先生の髪を揺らした。
走るのには邪魔だと思っていた風が、急に心地よく感じた。