はじまりの日
□#3 The king's dragnet
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―1週間後...
クシャナの店に一人の男が現れた。
いかにも“普通ではない”その男はいつものように騒がしい店内を一瞥するとカウンターの中で煙草を吹かし、客と会話を楽しむクシャナに目を向けた。
歩みを進める男、真っ黒いコートのような外套に身を包み、フードを目深に被っている。
変人揃いのギルドでも異彩を放つそれに漸く気付いたクシャナは不躾な視線に顔を上げ、不自然に会話を中断してまじまじと男を眺めた。
カウンターの目の前まで来た男は座らずに、隣で己を見上げる男に席を外してくれと言う。
「……クシャナはあなたか、」
「ええ、」
折り入って話がある、と男は言った後で未だに固まってこちらを見上げる男に視線を返す。
そこでハッとした男は慌てたように席を立ち、手持ちの酒も持たずに慌てて喧騒に飛び込んでいった。
「それで、何かしら?」
「……イーヴェを知っているだろう、彼は今どこにいる?」
「イヴなら一週間も前にここを経ったわ……。」
男はピクリ、と眉を寄せる。
しかめっ面のまま何かを思案した後でそうか、とだけ返した。
「失礼だけど、あなたは?」
「俺はシルヴァ・カオス……イグニだ。」
「渾(くるわ)の…王?」
「あぁ、そうだ。」
「渾の王がどうしてイヴを、」
「エンペドクレスが警告したんだ、俺たちはそれに従わなければいけない。」
「………?どういう、」
クシャナが首を傾げれば男は少し驚いた後で肩を揺らした。
笑みを深めたその目を細めてからカウンターの隅にある二つの写真立てへと視線を移す。
「成る程、ユエはつくづく面白い。」
「なに?どういうことよ、」
「いずれ分かる、本人ですら知らない事だ……まぁ朗報とは決して言い難いがな。」
「……イヴは…大丈夫よね?」
「俺にも分からない、こちらが教えてほしいくらいだ。」
シルヴァは肩を竦めて身を翻そうとする。
クシャナが手に持つ煙草の灰は今にも落ちそうになっていた。
「待ちなさい、イヴをどうする気よ。」
「安心しろ、悪いようにはしない……それよりイーヴェはどこに行ったんだ?」
「服従の王を選別しに来たというなら、どうして?」
二人の間に沈黙が下りる。
クシャナ自身、“服従の王”というのがどういうものかは分からなかったが何年かに一度この国に生まれる“英雄”は全員がバグウォーカーでケイオスだとか、カオスだとかいう名前のイグニを連れていた。
彼らは自分のことを服従の王だと名乗ったのだ。
「先代は確か、イザムという男だったわよね、彼と、関係があるの?」
「…………。」
クシャナにはイザムとの面識は無かった。
そしてユエがイザムのことについて知っている素振りも面識がある話も聞いたことが無かったが、彼女はある時に訪れた赤い髪をした男性にイザムという男について聞かされたことがあったのだった。
その当時、英雄という言葉や服従の王として扱われていたイザムの名前を知るものは少ない。
「イザムさんを知っているとは勤勉だな、なら話は早い……俺たちはエンペドクレスに呼ばれて初めてパートナーとして成立する。」
「俺たち?」
「俺とイーヴェの二人で“英雄”だ。」
クシャナはこの話をイヴの前でしたことがない。
これだけ長い時間、共に過ごしたというのに、最も偉大なバグウォーカーの謎について言及したことがなかったのだ。
バグウォーカーならば誰でも知っているだろう英雄の存在は、カオスのイグニを特定としているバグウォーカーや、会ったことがあるという人間には結構な自慢話ですらあった。
それなのに、クシャナとイヴの間には不思議なくらい英雄の話題は昇らなかったのである。
「……ユエの仕業だな、あなたはユエの能力を知ってるか?」
「ユエの能力って、バグウォーカーのこと?」
「あぁ、まぁ合っていると言えば合っているが……厳密に言えば違う。」
シルヴァはクシャナの前に座ってふう、と息を吐く。
「そもそも彼のイグニは元人間だ。」
「え?そんなこと、」
「世界で一人だけ、魂を媒体として能力を得ているわけだ。
彼の特定の朷仙丸は久楽朷仙丸と言って、生前は有名な陰陽師だったらしい。」
「オンミョウジ?」
「いわゆるシャーマンだ。陰陽師はイグニと似た存在を呼び出す力があったんだが、加えて物に能力を宿す力もあった。
その一つに封印術というものがある。」
そう言ってシルヴァが取り出したのは御札のような木板であった、何やら一つ一つに書かれているようだが、ミミズがのたうちまわったようなその字は最早模様に近いとクシャナは思っていた。
差し出されたそれは丁寧にも丁度真ん中で真っ二つに割れている。
「五行印環の封印式だ、口を封じるものだな。」
ただし環の中でだが、というのをシルヴァは忘れずに付け足した。
そこでクシャナは漸く合点がいった、ユエがここまでしてイヴの回りにいる人間の口を封じ、自分にイヴを頼んだユエの行動が何を指していたのか。
「イヴが、服従の王?」
「…………。」
「でも…どうしてユエはそれを秘密に?」
「さぁ、ユエの考えることは分からん。」
クシャナの手から木板を取ったシルヴァはその手に力を流して一瞬のうちにそれを消して見せた。
黒い気は紛れもなくカオスの力だ。
「本当にイグニなのね。」
「何だ、疑ってたのか。」
「当たり前じゃない、メリットが考えられないから半々ね。」
「疑う余地もない、」
無言で席を立ったシルヴァ、煙草を灰皿に押し付けたクシャナはその背中を眺めた。
「あなた、フードを脱いではくれないの?」
足を止めて振り返りながらフードを脱いだシルヴァに、クシャナは満面の笑みを返した。
「奇特な方だ、俺の顔を見てどうなる。」
「やあね、面識があって損はないわ。」
そうだろうか、と思いながらシルヴァはもう一度背を向けた。
「イヴは海を渡ったわ、マッサリアの港から出たから……キルワに居るはずよ。」
「ありがとう、」
シルヴァが立ち去り、店の扉が閉まったところで漸くクシャナはいつもの風景に戻ったような気がした。
それほど渾の王の存在感の強さというのは圧倒的だった。
煙草を吸う気にもなれずに新聞を手に取ったクシャナは一面に掲載された平和記念祭の文字に目を走らせる。
「(平和ではないのね、)」
民衆に手を上げて答えるのは、国王リドその人。