短編


□拝啓、嘘吐きな君へ〜第一話
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 ふわふわと視界を満たすのは、わたしの一番好きな花。黄色と橙を混ぜたような、小さな小さなそれ。
 思わず足を止めると、半歩前を歩いていた彼も足を止めた。

「どうしたの、美津」

 じゃり、と、下駄で砂を踏みしだく音。それから、彼が不思議そうな顔をして、こちらに振り向く。
 無意識だったけれど、なんだか止まってしまったことがいけなかったような気がして、小首をかしげる彼から視線を外した。

「いえ……金木犀が、今年も綺麗に咲いたなぁと思って」
「ああ」

 わたしの視線を追って金木犀の舞い散る空を見上げた彼――わたしの婚約者のひふみさんは、合点がいったようにくすりと笑った。

「美津は昔から金木犀が好きだね」
「……はい、綺麗だし、いい匂いがするし、大好きです」

 ふたつ歳上のひふみさんは、わたしが母様のお腹にいたころからもう、わたしの婚約者だった。反物の卸売をしているわたしの家と、店を代々懇意にしてくれている地主さんのお家とで決められたこと。
 わたしはともかく、ひふみさんは、博識で、性格もすこぶる良くて、おまけに上品な、役者さんのように整った顔立ちをしている。
 ひふみさんは優しいから、美津は綺麗だよ、と言ってくれるけれど、ひふみさんの横に並んでつりあっているように見える自信は、わたしにはない。

「……私の知り合いに、外国の香水を専門に仕入れている貿易商がいてね」
「? はい」
「金木犀の香水があるかもしれないね。見つけたら、美津にあげるよ。そうしたら、秋じゃなくても金木犀の香りが楽しめる」
「え……い、いただけません」

 楽しそうに言うひふみさんの気持ちを害するようで言いにくかったけれど、舶来の品はとても高価で、ぽんぽんと手に入れられるようなものじゃないことくらい、世間知らずのわたしでも知っている。
 もちろん、ひふみさんのお家が裕福で、それらを手に入れることが造作もないことだということも、知っているけれど。
 わたしの言葉に、案の定、ひふみさんはむっと唇を尖らせた。

「どうして」
「だって……た、高いでしょうし」
「遠慮なんてしなくていいんだよ。私が美津にあげたいんだ」



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