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僕たちは、気付かない振りをしていた。
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思い出したくもないこの感情をかつて支配していたのは、リリー・エヴァンズ、その人だった。
彼女は聡明だった。美しくもあった。
気丈で明るくて、どんな人間も分け隔てなく愛する心を持っていた。


自分は確かに彼女のことを愛していた。その事実は拭えない。
だけどその想い出も、今はもう、色褪せた。

つい最近までは、そう思っていたのだ。
もう彼女を思い出すことはない。とうの昔に過ぎ去った一時の、ほんの一瞬の感情だ、と。


だが、知ってしまった。気付いてしまった。

ハーマイオニー・グレンジャーの存在そのものが、学生時代の彼女の面影と重なる、ということに。


似ているから愛す、などと馬鹿げたことを云うつもりはないが、
それでも気になって仕方がないのだ。敵寮の、それも、一回り以上歳の離れた生徒の事が。

彼女を目で追うようになってから、彼女がどれほどの生徒から好かれているのかを知った。
最初の内は、ただただ、感心していた。ますますエヴァンズに似ているとも思った。

彼女に向けられる男子生徒からの好意の視線に目を細めるようになったのは、つい、最近だ。


勉学に著しく秀で、学ぶことを苦悩だとは思わない。むしろ、幸福だと思っている。

グリフィンドールの生徒でさえなければ、避けることなく邪険に扱うこともせず、
彼女が興味のあることは何でも、もし彼女が望むならば、危険な死の呪文でさえ、教えることは厭わなかったはずだ。


そう、

あのハリー・ポッターと、仲良くさえ、なければ。










薬品庫の掃除の初めの一週間は、これでもかというほど空気が張り詰めていたような気がした。

ハーマイオニーは黙々と手だけを動かし、
背中を見せるように向かい側の棚を掃除しているセブルス・スネイプを、一瞥すらしなかった。


二週間目も無言のままで終わろうとしていた。

しかし、さすがのハーマイオニーもこのまま作業を続けるのは気が滅入るらしく、彼女のほうから、その沈黙を破った。



「先生。ひとつ、聞いてもよろしいですか…?」

狭い薬品庫に、心地よいメゾソプラノの声が優しく響く。少しばかり恐怖の色が浮かんではいたが。

「なんだね、Ms.グレンジャー」

セブルスは彼女が自分に話しかけてきたことを意外に思ったが、
不思議と悪い気はしなかったのでそのまま彼女の話を聞くことにした。


「…あの本、『毒薬・麻薬大全集』に載っている薬草はどれも、ホグワーツの庭に生えているような、とても身近な植物ばかりでした。
どうして、何故、あの本は、閲覧禁止の棚に置いてあるのでしょうか?
マンドレイクみたいに泣き声で死に至らしめるような、危険な植物なんて何一つなかったのに…」

ハーマイオニーの手に握られている雑巾は、まだ忙しなく動かされている。
魔法なしで、と言うのが今回の処罰の条件だ。

「身近でありすぎるのだ。その、毒薬にも麻薬にもなる植物が。
君が言う通りあれに載っている薬草は、実際ホグワーツにも多く生息している。」

セブルス。彼もまた、作業の手を休めることなく答えを返した。
何度も、コトリ、と瓶を置く音がしたが、彼の良く透る声が掻き消されることはない。


「それじゃあ、その危険性を知るために閲覧したいと思う生徒もいるのでは?」

むしろ、知らなければ何かの間違いで毒薬を生み出すこともありえなくはないでしょう?
彼女の言葉にはそうした挑発のような響きも乗せられていて、少なからずセブルスを苛立たせたが、
当然と言えば当然の疑問に、彼自身も一から考え、そして言葉を選んでこう言った。


「それ故、だ。それを恐れて、校長は大全集を閲覧禁止の棚に置いたのだ。
あれを読んだ君ならば、分かるであろう?
載っている薬草は、何もしなければ毒薬にも麻薬にもなりはしない。簡単な調合ならば、毒性は発生しないのだ。
少なくとも、5年生までに学ぶ程度の調合であれば。」

「6年生以降の生徒がもしもこの本を見て、庭に生えている薬草を摘み、強力な毒薬や麻薬を調合してしまったら…
…確かに、そう考えるととってもとっても危険な本ですね。そこまで考えが及びませんでした。」

「その通りだ。君なら少し考えれば辿り着いても良いほど、簡単な結論だっただろう?
…で、質問はそれだけかね?」

「いえ、実は今日の薬学についても…」


話し始めると、止まらなかった。

次から次へと質問は浮かんできた。多くの意見も交わした。

いつの間にか掃除のことなど忘れ、踏み台を椅子にして向かい合って討論を繰り広げる二人。


セブルスがグリフィンドールの生徒を憎んでいるということを忘れるくらい、
ハーマイオニーがセブルスの瞳を苦手だと思っていることも、忘れるくらい、

ただ、夢中になっていた。



今までこんなに意見が合い、そしてこんなに意見が食い違う人間に出会ったことはなかったからだ。





―彼女は、この時間が耐えようもなく好きだと思った。

自分が本の中で学んできた知識に、目の前の魔法使いの「生きた」知識が混ざり合い、
これまでとは比べ物にならない位、彼女に色々なことを教えてくれる。

セブルスの目を直視するのが苦手だった彼女が、いつの間にか、彼の瞳を見つめることを好きだと思うようになっていた。

声は冷静を保っていても、瞳だけは、知識に対する情熱をひしひしと伝えてくる。

その苦手だった眼差しが、何よりも彼女の心を惹き付けた。






―彼は、この空間を誰にも邪魔されたくないと思った。

ハーマイオニーは、自分が今まで教えてきた生徒の中で、間違いなく誰よりも賢い魔女だ。

様々な分野に精通し、絶対に分かるまいと思っていた質問にさえ軽々と答え、
それについての見解を述べてから、自分に意見を求めてくる。

グリフィンドールの生徒を憎んでいた彼が、知らぬ間に、この討論を楽しんでいた。
どんなに専門用語を羅列しようと、彼女を動揺させることなどできはしない。

それは少し癪だったが、時折見せる年相応の笑顔や顰め面が、彼の心には可愛らしく映った。










その日を境に、放課後の薬品庫掃除が、

ふたりにとって何物にも代え難く大切な時間になった。










To be continued…

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