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僕たちは、気付かない振りをしていた。
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随分と幸福な夢を見ていた気がする。

内容は起きた途端に霧がかかったように思い出せなくなってしまったが、
自分が昔想っていた人が出てきたのには相違なかった。


リリーは、あの頃と変わりない笑顔を見せていた。

美化も、風化もしていなかった。

隣にあの憎きジェームズ・ポッターもいなかった。それがなによりも幸せだった。


目を覚ましてしばらくは、壁のずっと向こう側を見ているような目をしていたが、
積まれた羊皮紙とインク瓶につけたままの羽ペンが、セブルスを一気に現実世界へと引き戻す。


ため息をついた。
懐中時計は、夕食の5分前を示している。

長い時間寝ていたようだ。
ハーマイオニー・グレンジャーはいつ来たのだろうか。

自分が寝ている間に?

もしそうなら、寝顔を見られたかもしれない。



彼は二度目のため息をついてから、重い腰を上げて夕食に向かうことにした。

食欲はなかったが、いずれにせよ彼女を呼び出して今日の分の罰則を受けさせなければならない。


だが、夕食の席に彼女の姿は見当たらなかった。
彼女の親友であるらしいハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーはそこに来ていたのに。

内心舌打ちをしながら、その二人が大広間を出て行ったのを見計らって呼び止めた。


「Ms.グレンジャーはどうしたのかね?夕食にはいなかったようだが」

彼は生徒二人を威圧的に見下ろしている。
二人はセブルスを恐れているような眼差しで見つめ返して、それから弱々しくこう言った。


「僕たちも分からないんです。」
「ただ、女子寮に籠もって、その、―泣いているようだとは、聞きましたけど」

泣いている?
セブルスはそう聞き返して、片眉だけを吊り上げた。
しかしすぐにいつもの無表情に戻り、冷徹な口調を続ける。

「まぁよい。それでは代わりに塔に戻ってMs.グレンジャーに伝えたまえ。
今日の分の罰則がまだ終わっていない、すぐ我輩の部屋に来るように、とな。」

了承する返事は聞かなかった。
そのまま身を翻して、できるだけその場から早く立ち去ることだけに力を注いだ。

部屋に向かう間も、再開したレポートの採点をしている最中も、
セブルスはずっと苛立っていた。

彼女が自分の部屋に来たら、まずはどんな悪態をついてやろうか。そればかりを考えていた。

泣くぐらいならばこの研究室に来て、憂い事など忘れるくらい、掃除や自分との討論に集中してしまえば良かったのに。

そんな結論に辿り着いて、
なんと歪んだ独占欲だ、
と、彼は乾いた唇に嘲笑を浮かべた。


― 独占欲…

頭の中で繰り返してみる。
陰湿な響きだ。まるで自分の姿を見ているかのような。


(…彼女はあまりにも、想い人に似過ぎているのだ)

ここ最近…彼女を目で追い、向かう男子の視線を疎ましく思うようになってから、
彼が、彼自身に言い訳でもするかのように言い聞かせてきた事。

それでも、彼女の年相応の笑顔や恥ずかしそうな表情に見惚れてしまったのは事実だ。


はぁ、と長い息を吐く。
今日はよくため息をつく日だと思った。
眉間の皺がいつもよりも深くなっているのも気のせいではない。

もうベッドに入って寝てしまいたいような気持ちだった。
セブルスは、採点途中のレポートを放り出す。羽ペンもインクを拭いて机にしまった。


椅子の背に全ての体重を預けて、低い天井を見上げた。

目を閉じて、思い出す。
あの幸福だった夢の、未だに変わらないリリーの姿を。

そして、しばらくしてから彼が目を開けたのは、扉を弱々しくノックする音が聞こえたからだった。



「…ハーマイオニー・グレンジャー、です」

扉の向こうから、掠れた声が聞こえた。
どうやら、泣いていたというのは嘘ではないらしい。

いつもと違う、細くて自信のないような声に、セブルスは心が震えた気がした。

「入りたまえ」


出来るだけ優しく聞こえるような声で呟いてみる。
泣いていたらしい彼女を少しでも労わろうとした。
それが効果があったかは分からないが、ハーマイオニーは、精一杯の笑顔を作って部屋の中に入ってきた。

笑っていても、目元が腫れているのが痛々しかった。

それどころか、セブルスの顔を見た途端、
一瞬だけ顔を歪めて泣きそうな表情を見せた。次の瞬間には作り笑いに戻ってはいたが。


「…我輩の前で、無理に笑おうとするな」

セブルスが思わず口走ったその言葉に、彼女は酷く驚いたように目を丸くした。

しまった、とは思ったが、彼は目の前の女生徒から目が離せなかった。

彼女は眉根に皺を寄せ、耐えるように目を細めている。
その瞳に浮かんでいたのは、紛れもなく涙。
彼女の喉は嗚咽を漏らし、肩は小刻みに震えていて、まるで幼い子供のような仕草で泣くのを堪えた。



(…―嗚呼、何故そんなに、)

セブルスは彼女に歩み寄りながら想う。

(君は、可愛らしいのだろう)



「Ms.グレンジャー、何を泣く」

「…い、いえっ…なんでも…っなんでも、ないんです…っ」


「…何でもない訳がなかろう。
そんなに大きな涙をボロボロと零して」


彼女の頬を伝う涙を、セブルスは親指で拭った。
彼女がビクリ、と肩を揺らしたのは、この際無視してしまうことにする。

何故彼女が泣いているのかは知らない。
問い詰めようとも、彼女が答えることはない。それは分かっていた。

セブルスは涙を拭っていたが、その涙はますます溢れるばかりで、彼女はもう涙を抑える気はないようだった。

そんな様子を見た彼は、肩を優しく抱き、
涙を流したままの彼女をフワリとその腕で包み込んだ。


「…情緒が不安定な時は、
心臓の音を聞けば落ち着きを取り戻せると、何かで読んだことがある」


ただ、それだけだ。他に何の意味もない。
腕の中に居るハーマイオニーにもそう聞こえるような声色を保つ。

かつて愛した女性に似た、腕の中の少女。
そう、まだ“少女”なのだ。

自分の肩にすら頭が届いていない華奢な身体と幼い泣き顔が、それをひしひしと伝えてくる。

にも関わらず、
この娘の泣く姿を見ているのは辛い、
あの可愛らしい笑顔と拗ねた子供のような横顔が欲しい、
そう思ってしまう自分は、
やはりリリーの影に取り付かれているのだろうか。


彼女は、大きな腕に抱き締められたままセブルスの胸に顔を押し当て、
まだ治まることを知らない嗚咽に身を任せている。

ギュッ、と彼女を抱く腕に力を込めた。

栗色のフワフワした髪を撫でる。




ハーマイオニーはその優しい仕草がたまらなく嬉しかった。


( 先生… )


彼の心の中から、リリー・エヴァンズの存在が消えることはないのは分かっている。

それでも彼を想わずにはいられなかった自分が居る。


( …先生、 )


泣いて、泣いて。

やっと気付いた彼への想い。





「…貴方のことが…大好き、です」





彼の胸の中でそっと呟いたその言葉は、

彼の耳に届くことはない。









To be continued…

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