ひとりごと


◆とうろん 


ハーバードと東京大学のディベートを見た
テレビでやってたけど興味深かった

議論は忠誠心から始まって国の責任問題へ
責任とは世代から世代への後継責任
例えば広島の原爆
そこからさらに発展して道徳の哲学へ



多様な意見が矢継ぎ早に討論されるのはライブ感があって熱かった

それと日本の学生が母国語のように英語を話してるのには面喰らった

自分も話せるようにならないと

読めるだけじゃ通用しないし外国にいって何かをするなら頭が使えないとお話にならない上、表現できない
広く意見を交わしたいなら身に付けないと


このディベートは内容が楽しかっただけじゃなくて
討論自体の必要性も感じた

芸術もほとんどディベートに近いモノだと思う
ただそれは個人の討論、哲学で終わることもしばしばだから本当の意味で人との討論までいってるかは分からないけど

人と考えを共有するとき、確かに言葉で交わすのは手っ取り早い
だけど言葉だけで現せない揺らぎみたいなものを芸術は担ってると思うし、それに人類が誕生してから言葉より先にあるわけで
そういった意味では同等かそれ以上の表現手段だと思う


だからこそディベート
まずは言葉でもって考える
それを踏まえて作品をつくる

そういうのもありかなぁと感じた

言葉で伝えられるならそれにこしたことは無い
逆に言葉にできるようなら作品にすることもないと思う

皮肉やパロディが残らずながれるのには芸術の本来持つ言葉が無いからじゃないかな

引き合いに岡本太郎の言う無目的をだすけど
無目的とはそういった揺らぎ
言葉以上の何かをつくれって意味だと思ってる

ハーバードと東大…

東大と芸大もやってほしいなぁと見てて思った

ただ問題としては芸術系の人達は割りとバカ(笑)
自分もちゃんとバカ
センター5割っていう基準もよくないと思うけど
そもそも勉強に興味が無い人が多いと思う
自分もそう

英語ができれば頭がいいとかそういう問題じゃなくて

世相をまず知らない
新聞を読まない
歴史を学ばない

それだとつくれるものが限られてきちゃう

村上隆が歴史を学べと言うのは作品制作の幅を広くして興味を絞り込む前段階として必要だからこそ


だからなるべくバカなりに学習しないと

まずはやっぱり英語かなぁ…

2010/09/27(Mon) 00:49

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