ひらこ小説
□永い夜に夢のかぞえ詩
1ページ/2ページ
雪が降っていた。
僕達を包んでしまわんばかりに降っていた。
この儘雪に埋もれて、春になって一緒に溶けだしてしまえたら、どんなに良かったか知れない。
「喜助ぇ」
「なんスか?」
「首、苦しいんやけど」
僕と貴方に繋げて巻き付けた羊毛マフラーは、2人分には短かったようだ。僕の頬にくっついている貴方の頭の柔らかい髪がくすぐったい。
「嫌だなァ、これくらいで調度良いと思ったからこの長さにしたんじゃないスかァ」
「………」
おどけた様に言ってみせても、貴方は只黙って僕を睨んだだけだった。
降りてくる沈黙に耐えられない。雪道を踏むキシ、キシと耳障りな音が不自然に僕の頭に響く。
貴方は前を睨み付けたまま、黙り込んで歩いていた。
「…平子サ」
「着いたで」
あの日から、平子サンは僕に名前を呼ぶことを許してくれなく為った。
「…入りましょ」
硝子戸を開けて、冷たく暗い室内に入った。今夜は鉄裁が出かけている。
「…やっぱ帰るわ」
マフラーをとって、抱えていたブラック缶コーヒーとミルクココアの温もりを机の上に置く。出ていこうとする貴方の腕を黙って掴むと、貴方は大人しく畳の上に座った。
1ヶ月に一回の頻度で、貴方は僕の店に泊まりにくる。決まって僕しか居ない時だ。
それでも、触れることすらも許してはくれない。
長い永い夜の中に、僕達は居た。
夢を見た。
余りにリアルで、まるで本物みたいなのに、不思議と幻想(ゆめ)だと理解していた。
貴方は歩いていた。前に向かって歩いているのに、向かう方角は過去だった。
手を伸ばしても、僕の腕では短すぎる。
そっちに行っては駄目なんだ、去かないでくれ、お願いだから。
叫ぼうとしても、声はおろか音さえも出すことが出来ない。
伸ばした手が空を掻く感覚が、酷く不快だ。
貴方は絶対に振り返らなかった。
何も、届かない。
貴方は「前」しか見ていないから。
只空虚な貴方しか、僕に応えてなんてくれない。
僕は貴方に笑って欲しい。笑って欲しいから、
だから、
そっちには逝かないで、
ぎゅ、と空を掴む感触に目を醒ます。じっとりと湿った掌を、顔上に掲げていた。
隣には、寝息もたてずまるで生きていないかのように眠る貴方が居る。
触れようとして、すぐにびくりとして引っ込める。
僕が触れば、貴方は溶けだしてしまいそうだった。
手に触れた雪は、しゅわ、と微かな音を奏で消えていった。それはまるで酢に投じられた真珠のように、あまりにも呆気なく。
貴方は雪に似すぎている。僕が怖くなるくらいに。
逝かないで、消えないで。
もしも貴方が雪と為ってしまうのならば、僕は、貴方に埋もれて共に消えてしまいたい。
春になったら、後にはもう、何も残りはしない、
―かさ、
衣擦れの音でまた目が醒める。どうやら本当はまだ幻想の中だったようだ。
貴方がひっそりと、夜の闇に、やはり溶けだしてしまいそうに佇んでいた。笑わない貴方の、久しぶりの、本当に久しぶりの生きている表情。
月を見上げて、水よりも、もっと寂しい粒を降らせている。
まるでいつか聞いた物話の、月に還りたいと焦がれた姫のように見えた。
“その涙が誰が為に流れているのか”
問い詰めたくても、今の貴方は、何だか見てはいけないような気がした。
ごめんなさい。
それでも僕は、貴方の生温い優しさに縋りついて居たい。
貴方に僕という枷をつけて、狭い狭い鳥籠の中に閉じ込めておきたい。
いつか貴方が、月から、永い冬の夜から、還ってきてくれますように。
布団の中に踞って祈る僕の頬も、
気付くと、
恐ろしい程に冷たい何かで
濡れていた。