リフレインの向こう
□第9話
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なにもできないくせに、いつまでも忘れられなかった。
だから。
そのすき間で咲きはじめたものになんて、気づかずに通りすぎてしまいたかった。
嘘をついてまで、手に入れたかった希望。それは、会場の熱気の中、声もあげずに消えていった。
今、何時なんだろう。
家に連絡もしてないから、きっと家族も心配してる。
だけど、どうしてもあのリングがある家に帰ることができなくて、あちこちさまよったあげく、近所の公園のジャングルジムの1番上に、1人で座っていた。生ぬるい夜風は、頭を冷やすのに、ちっとも役だたない。
だから、思いだしてしまうんだ。
流れ星を欲しがったあたしに、空へ向かって、ここからめいっぱい手を伸ばしてくれたこと。それでも届かなくて、「大人になったらつかまえてやるから、待ってろ」って、悔しそうに言ってくれたことも。
その年にくれた誕生日プレゼントが、星の形のキーホルダーだったことも。
わかんないよ。
あたしは、どうするべきだったの?
どうしていくべきなの?
何時間も考えても、同じところをぐるぐるぐるぐるまわり続けるだけだった。
くる場所を間違えたかもしれない。そう思うのに、お尻が縫いつけられたかのように、そこから1ミリも動けなかった。
ざり、と、土の上に広がる砂を、踏む音がした。公園のライトの下、長い影が見える。
「とーちゃんが、『結衣の帰りが遅い』って、心配してるんだわ」
「翼…」
迎えにきてくれた翼は、制服のままだった。
そのままこっちまで歩いてくると、あたしと同じ方向を向いて、ジャングルジムに背中を預けた。そして、あきれた様子でため息をつく。
「お前ね、サボるのはいいけど、もうちょっと上手い嘘なかったの?せめて、オレと口裏合わせるとかさ。よかったね、オレが機転きくやつで」
「…ごめん」
かすれた声しか、出せなかった。
翼には、どうしても言えなかった。翼がドアを開けてしまったときから、あの雨の日までずっと、その後悔を利用したのは、あたしだから。
その結果がこのザマなんて、本当は、合わせる顔すらないのに。
顔をうつむけて、もう1度、うまくまわらない口で懺悔する。
「ごめん、あたし、本当に勝手だ」
「うん、さすがにねーわ」
静かに淡々と言った翼の声は、多分本当に怒っていて。それでも、あたしを強く非難したりはしなかった。
ただ、試すように吐かれたセリフは、ちょっとした仕返しだったのかもしれない。
「結衣は、藤真のこと好きになったもんだと思ってたんだけどなー。はずれたか」
「やめてよ」
思いがけず、のどから低い声が出たことに、自分で驚く。胸がずくずくと、よどむように鳴いた。
「マジギレしないでよねー」
乾いた声で揶揄されても、あたしはなにも言い返せなかった。それ以上、言及されることもなかったけれど。
翼が彼の名を口にした真意は、わからなかった。あたしの反応をどう受けとったのかも。
でも、今の翼には、どうでもいいことだったのかもしれない。あたしと同じように、あの頃の景色を今、見ているのなら。
翼は、こわばった声で、あたしにひとつの忠告をする。
「また宙ぶらりんにするのだけは、やめてやんなよ。ちゃんと関わるか、そうじゃないなら、忘れな。オレが言えた立場じゃないけどね」
「翼も、もう忘れようよ」
ぴくりと、その肩が揺れた。高校に入ってから、ずっと感じていた違和感の正体を、あたしははじめて言葉にした。
「あたしより、翼の方が、苦しんでるように見えるよ」
わかるよ。わざとでしょ。あたしの代わりに、全部を背負おうとしてるんだ。
あたしが自分のことで精一杯だったとき、翼だって、誰にも気づかれない場所で、同じくらい傷ついていたはずなのに。
「…中学の頃なら、ばれやしなかったのにね」
ぽそりと呟く翼に、声には出さずに同意した。
そうだね。中学の頃なら、翼だって、こんな風にあたしを見つけられなかった。ううん、きっと見つけようとも思わなかったよね。
あたしたちは、仲の悪い姉弟でいられるくらいが、幸せだったのかもしれない。
その背中が、ジャングルジムから離れる。こっちを振り向くこともしないまま、翼は言った。
「帰るよ」
重いままのお尻を持ちあげて、時間をかけながら、そこからおりた。数時間ぶりに踏んだ地面は、固く、ざらりとしていた。
翼は、さっさと先をいく。
あたしはなにも話せないまま、その2メートル後ろを、下を向きながら歩いた。