企画用

□新選組妖異聞 外伝
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 その日、京の空はどんよりとした灰色の雲が覆っていた。吹く風は肌を刺すように冷たく、湿った空気が辺りに靄を作り出していた。自然、人の活気も薄れるこのうんざりとする天気の中にありながら活気というより、どちらかといえば殺気に満ちた集団があった。場所は洛西壬生にある新撰組の屯営(とんえい)。そこの稽古場から凄まじい気合声と竹刀をぶつけ合う音が聞こえてくる。



  新撰組副長である土方歳三は、打ちかかってきた平隊士の起小手(おこりこて)を叩き落とした。打たれた隊士は、腕の関節が曲がったのではないかと思う程に手首を曲げられ、下を向いた竹刀が地面を掠る。が、それだけではすまない。歳三はさらにその隊士の面を打った。慌てて竹刀を振り上げた隊士だが胴が空いた。そこに向かって歳三は左半身から力任せに打った。隊士は息が止まったらしく、咳き込みながら慌てて下がり、腰を降ろした。


  すると、今度は後ろで控えていた別の隊士が土方へと打ちかかっていく。隊士は面を打つと見せかけて振り上げた竹刀を捻って胴を打とうとした。これは他の者との仕合であれば、上手くいくのだろう。が、歳三にはまるで効かなかった。彼は、相手の胴が入るよりも早く、体ごとぶつかっていき隊士の喉元に突きを入れていた。猛牛の突進を受けたかのように隊士の体は後ろへと飛び無様に尻餅をついて転がり、そのまま動かなくなった。
 


 そして、また別の隊士が打ちかかっていく。このやり取りをもう数時間近く続けていた。歳三は平隊士からは一本も入れられていない。新撰組は剣術集団と言われているが、その技量は個人によってまちまちだった。入隊するに当って必要なのは、幕府への忠誠心、志士としての心のみで、身分は関係なし、剣の腕を確かめるような試験もなかった。


 中には剣術の技量に関していかがわしい者も混ざってくる為、こうして毎日非番の隊士には稽古がつけられる。歳三以外には一番隊の沖田総司、二番隊永倉新八どちらも隊中で最も腕の立つ者達が、それぞれ歳三に負けず劣らずの凄まじい気合と剣術で隊士達を戦慄させていた。奥の方では原田左乃助が槍術――こちらも相手を殺すつもりなのではと思う程に凄まじい――の稽古を隊士につけている。


 隊士が使う剣術は、北進一刀、神道無念、鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)、等江戸の三大流儀は勿論、小野派一刀、無外流、新陰流等、様々だ。中には自我流等もいる。が、歳三は隊士達が使う流儀の大半を体で覚えていた。どういう癖があるのか、どんな技があるのかを瞬時に読み取ることができる。



 歳三は元々、武州多摩の石田村で薬の行商をしていた。彼の義兄である佐藤彦五郎が天然理心流であり、彼も江戸にある小石川日向柳町の道場でその教えを受けていたが、それ以外にも、薬を売る為に渡り歩いた町の道場へと向かっては剣術を教わったりもした。沖田、永倉、原田とはその頃からの付き合いだ。特に沖田は同門であり、互いに兄弟同然の関係だと思っている。
 


 そんな彼らが京へと上ったのが文久三年の二月二十三日。京へとのぼる将軍を尊皇攘夷の熱で浮かされている過激な浪士から警護するという名目により誕生した浪士組に参加したのが始まりだ。この頃はまだ正式な名称もない。同門で沖田と同じく兄弟同然の近藤勇を首領とし、他数名と共に参加した。そこから紆余曲折、組織の分離や仲間同士の争い等を超えて今の新撰組があった。
  
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