SP

□nothing
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何もないから。

何も言わない。

何もないから。

求めない。





nothing






決まった時間に目覚ましが微かな音をあげて、鳴る。


けたたましい音ではなくて、すぐ隣のベッドで寝ている者に聞こえる程度に。



「…ん」



眼鏡を取ると、印象が大分違う整った顔立ちが、その微弱な音に身じろいだ。
後藤はその身体を揺らさないよう、ベッドヘッドにある目覚ましに手をかけアラームを消す。


ゆっくりと真っ白なシーツから身を乗り出し、近くにあったシャツを軽く羽織った。


横目で未だ目を覚まさない黒髪の人を見遣る。
彼にしては珍しく、後藤よりも早く起きていない。


大抵、朝目を覚ますと、彼こと――石神は、黒い艶やかな前髪をぴしっと正し、Yシャツのボタンを上まで閉め、眼鏡をかけて自分を見下ろすように待っている。


目が覚めれば、

「起きたか」

のただ一言。


情事の後なんてどこにも残っていない、涼しげな顔。

後藤ばかりが昨夜の事ばかり頭によぎって、なんとなく気恥ずかしい。


その珍しい寝顔を見つめながら、手を伸ばそうとした瞬間。

自分にはその価値がないことに気づき手を止める。



「…何をしようとしているんだか」


独りごちたその言葉は、眩しい朝日の中に消えていった。





石神の起きるのを待つ間に、器用な手つきで朝ご飯を作る。
彼に家事というものを意識させたのは、そういえば、憎きライバルの一柳昴であったことを思い出し、薄く笑った。


石神との情事の後の朝に彼を思い出すなんて、なんて滑稽なんだろうかと。



食卓には、簡素だがしっかりとした朝食を用意し、最後にブラックコーヒーを入れる準備をしてから、石神が寝ている寝室へ向かう。



背中を向けてシーツを手繰り寄せ、寝ている間でも正しく伸ばされた背筋が呼吸とともに、緩く上下していた。


その背中を見つめながら、石神に声をかける。


「石神さん。そろそろ時間です。」


「…そうか」



既に起きていたのだろうか。やけにはっきりとした口調でそう答えながら、石神は後藤の方へ顔も向けずに眼鏡を手に取った。

しっかりとそのフレームを確かめるように伸びる指先が、なんだか艶めかしい。


ふいにその指を取ったものだから、石神の手の中の眼鏡がからんと音を立てて、硬いフローリングの床に落ちた。




「何をする」

「さぁ……何でしょう」



自分の行動が上手く説明出来ない。つい先程まで、彼に手を伸ばすことを躊躇っていたはずなのに、なぜか今はその手を掴んで、彼の真摯な瞳と向き合っている。



―――何してるんだ。ほんとに。



2人の間には何もないというのに、やけにその向き合っている瞬間が長く貴重に感じられて、逆に手を離すのが躊躇われたが、これ以上はダメだと、無駄だとばかりに石神から手を振り払われた。


そのことが、
少しショックだった。
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