SP
□anything
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苦しい。
でも求めて。
切ない。
でも伝えない。
anything
どんなに格好つけてても、見透かされてしまう想いがある。
どんなに格好悪くても、伝えなきゃいけない想いがある。
今日中に仕上げなければいけない書類が、石神の元に舞い込んできたのは、後二時間で時計の針が重なるその時間だった。
いくら無理難題をつきつけられようと、己の約束など犠牲にしてでも果たさなければならない義務があるこの仕事に、誇りを持って務めていることは皆同じだろうと、石神は特にその誇りが高い。
黒の滑りの良いボールペンを走らせて、少しばかり霞む目頭を押さえようと、空いた左手で眼鏡を押し上げた。
「……後30分か」
誰がいるわけでもない冷たいオフィスに、石神の堅い声が響いた。
眼は時計の秒針を知らず知らずに追っている。
三日間の徹夜明けの後であるから、余計に人はおらず、早く帰路についた部下達が少し羨ましい。
今日は、久しぶりの後藤との約束があった。
『10時にお宅にお邪魔します。』
そう右上がりの文字で綴られた一枚の小さなメモを、書類と一緒に受け取り、こんなやり取りを社内でやることになるなんて、と自分が少し恥ずかしく感じながら、石神はこくりと頷いた。
そんなやり取りをしたのが、遂四時間程前。
壁にかかった時計は、自らがしている黒革の時計と同じ時間を告げているのだから、今日の約束は破られている。
一応、会社を出るのが遅くなると言うことと、書類が回ってきた時に、今日中には自宅に帰れそうにないというシンプルなメールを後藤に入れておいたから心配はないはずだ。
胸元の裏ポケットに入れてあるはずの無機質な物体が震える様子がないところを見ると、後藤からの返信はない。
それが少し気になって、手が携帯に伸びそうになるが、何となくその手を止めて、改めて目前の書類に向き直った。
実のところ、後藤からメモを差し出された時に、身体が少しびくりと竦んだ。
約一ヶ月ぶりの逢瀬の内容を想像しての羞恥心からなのか、それとも逆にそれへの恐怖心からなのかはわからない。
どちらにせよ、かなり久方ぶりの後藤との接触に嬉しさが込み上げて、気持ちが上向いているのがわかった。
だから、身体が竦んだことがわからぬように、わざと冷たく顔を逸らし、言葉少なに背けた顔を上下に揺らしただけだった。
後藤を意識している。
と、自らが気付いたのは、後藤が配属されてきてすぐのこと。
自分のすぐ下の直属の部下として供に働く後藤の真っ直ぐな姿勢は、とても好感を覚えたし、また反対に、すぐに物事に対して反応する実直さやその負けず嫌いさは、自身に無い部分だと刺激を受けた。
一部下として特に秀でた彼の有能ぶりも相まって、そうして、よく瞳で追うようになった。
初めは、ただの有能な部下として。
その関係が自分の中で揺らぐとは想いもせずに。