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□あだはな〈二輪〉
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「誰を待ってるのかしら?…ご執心なこと」

店の扉を開けてそのままぼんやりと空を眺めていると、背後からした女言葉に俺は眉間に皺を寄せながら振り返る。

「今日は霧雨ねえ。気が滅入るわ」

やはり全く気にせずに隣に並び同じように空を仰ぐ。お世辞にも似合ってるとは言えないその姿に内心盛大にため息をつきながら、俺は再び空を見上げた。

「…雨は嫌いじゃねえよ…ママ」

聞かせるともなく小さく呟けば『ママ』は視線を俺へと移し、赤いロングのチャイナドレスのスリットを指で直しながら笑みを浮かべる。

「さ、もう開店時間よん」





《クラブ徒花(あだはな)》





置き看板の中の電灯が何度か点滅し、店の名前を浮き上がらせる。
そうここはいわゆるクラブ。まあクラブと言っても高級でもなければそんなに流行っているわけでもない小さなお店。しかしなんと言うか、特殊、なのだ。
名残惜しい気分で扉を閉める。
着物に乗る細かな雨粒を手で払う。
今日の俺の召し物も黒。黒地に薄桃色の花びら牡丹の柄でその花弁と半襟は朱。帯は梨地に銀糸の刺繍。本当は睡蓮が好きなのだが、あまり着物(特に黒地の)の柄にはないので仕方なく帯留めと根付けで我慢していた。

「ナンバー1は同伴出勤だからしばらく頼むわよん?ナンバー2の『ユウ』」

「…相変わらず金になるなら形振り構わない奴だ」

台拭きを渡しながらうふふ〜とされたウインクに辟易しつつも、俺は半ば引ったくるようにそれを受け取る。「あら、乱暴ね」なんて科をつくられても正直、このママの言う気が滅入る雨なんかよりよっぽど気が滅入るのだ…こいつらと同じように見られているのかと思うと。けれどこの俺の言葉にママが返したのは苦笑いで。

「『形振り構わない』のはあなたも一緒でしょ?…神田」

「…うるせえ」

「それにせっかくお目当ての子が見つかったのにいつまでも何もしないし。もしかして神田ってば嫌がる振りして実は…「要らない勘ぐりすんな」…あらん?」

また苦笑いをされる。俺は苦虫を噛み潰す。
俺だってわからないこの気持ちをこのおかま、つかこの店のママであるジェリーに読まれた気がして気分が悪い。だけど俺自身どうしたらいいかわからなくて、だらだらとこの店で働き続けあいつを待って…こんなはずじゃ、なかったのに。
台拭きを握り直す。この話は終わりだと背を向ける。その背後で小さなため息が聞こえたのを、俺は聞かない振りをした。






開店してもこのお店にはすぐに客なんて入らない。
今だって客引きのラビが暇そうに店の軒下で通り過ぎる人々を眺めている。

「サボってんなよ馬鹿ウサギ」

雨はまだ降っているだろうかと扉を開いてすぐ見つけたその姿に、イヤミを言ってはみるが俺自身は客なんて入ってきて欲しくはない。それをこのウサギは知っているので「すいませ〜ん」なんて口先だけで謝って。

「まあさ、こういう雨の日ってどっちにしろ声掛けづらいんだよね。傘が邪魔で近づきにくいしさ」

そんな言い訳を聞きながら二人で見上げる薄曇りの空。
雨でもない霧でもない、そんな天気はどっちつかずに今更迷いだしている俺の気持ちみたいだと思った。

「…ユウは今日も美人さ」

「…殴られたいのか?」

隣から不意に言われた言葉。反射的に反応して睨んでやればさっきのママみたいに苦笑して、それからすぐになにか含んだみたいにニヤリとする。

「まあオレとしてはユウのその姿は目の保養できて嬉しいんだけど、ユウにとっての目的は違うだろ?…もしかして惚れちゃった?」

「……なわけねぇだろ」

意味深に向けられた視線を避けるように顔を背ける。けれど俺の横顔に相変わらずにその瞳は固定されたまま、またウサギは言葉を続ける。

「え〜でもこの前のあれ、どうみても怒り狂ってたじゃん」

「俺の客に手を出したからだ」

「ふ〜ん。そのわりには随分と濃厚に慰めてたよな」

「……」

「しかも『俺の客』ね。『俺の』」

「ああそうだ。『俺の』客で獲物だ」

「だから俺以外には触らせない、と?」

「…テメェはさっきから何が言いたい」

舌打ちをする。
どいつもこいつもなぜか俺の腹を探ろうとしているようで腹が立つ。でもそれよりも一番腹が立っているのは自分自身という自覚。こんな形(なり)までして何を今更躊躇うのだと。

「とりあえず今は特に込み入った仕事もないし、ユウの思う通りにすればいいさ。まあでも、」

静かにラビは言ってから、身体を解すように大きく伸びをする。

「オレ自身はそんな馬鹿みたいな理由で彼女に近づくのは感心しない、ってことさ」

「馬鹿みたいだと?」

ピクリと眉が上がるのがわかる。それに言い返そうと口を開こうとした時、その馬鹿ウサギは遠くを見るように手を額に翳し「お、邪魔な傘を持ってない人発見!ちょっとうちの店で雨宿りしていかない?」と大きな声を出す。その徐々にこちらへ近づくその姿に向かって。

「意外と霧雨って濡れますね」

髪をしっとりと濡らしそれに答えて苦笑する、少し困ったみたいなその笑顔。

「少し雨宿りがてら寄ってっていい?」

滴の光る濡れた唇濡れた肌。まつげにさえ細かく縁取る滴を揺らし、そう問う視線に俺は混乱する。

「…いらっしゃい」

それでもやっと絞り出した言葉はいつもみたいにつまらない挨拶。でも声を発して我を戻し、けれどもたった今、自分が覚えた腹立たしさの意味するところに愕然とし、それ以上の言葉を噤ませる。

雨は好きだ、でも、お前を濡らして身体を冷やし、俺の心まで湿らせるこの雨は嫌いだ、と。


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