カレーの神様
□カレーの神様 5皿目
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「実は電話でリナリーとは話してたんだけど、えみるちゃんがいいなら、うちに来て欲しいなって。ボクは出張も多いし、えみるちゃんがうちに来てくれると、嬉しいし、助かるよ。」
にっこりと笑い私の手を握る。
その優しい温度にまた緩みそうになる涙腺に、私は必死で唇を噛み、深呼吸してやり過ごす。
コムイさんと目が合うと涙が落ちてしまいそうだったので俯いたまま、口を開いた。
「コムイさん」
「うん?」
「すごくそのお申し出、嬉しいです。」
「そっか、なら…」
「でも私はこの家にいたいんです」
涙を堪える私の手は震えている。その手を握るコムイさんにも伝わってしまっているだろう。
「まだ、気持ちの整理もついていません。何もかも、出来てないんです。
だから、ここから、この家から、離れたくないんです。」
ごめんなさい。ありがとうございます。
また頭を下げると私に触れていたコムイさんの手が、ぎゅっと握り締められた。
「…でも、一人でここに住むなんて、危ないよ?」
夕べ神田先輩にも言われた事。
「若い女の子が一人でなんて、ボクは賛成出来ないな。」
「でも!」
反論に思わず腰を浮かしかける私を、コムイさんは手をまた強く握る事で制す。
「この家が何も無くなるという訳じゃないでしょ?ボクのうちはここからも近い。毎日だって見にこれるじゃないか」
だからうちにおいで、えみるちゃん。
…確かにその通りだ。
リナリーの家からうちは近い。通う事だってそう難しくないだろう。でも…。
泣きそうだ。コムイさんがそんな私をみて悲しそうな顔をする。
わかってる。コムイさんが私の為を思って言ってくれてる事だと。親戚達よりずっと私の事を考えてくれているんだって。女が一人で家に住むのは危ないって、心配しているんだって。
…私はこの思い出のある家を離れるしかないの?でも、家だって人が住まないと死んでしまう気がする。また、死んでしまう。そんなのは、もう、
…嫌だ。
ぽろりと堪えていた涙が落ちた。
「俺が一緒に住んでんだ、問題ない」
低い声と共に、柔らかく視界が暗くなった。
「神田くん?」
コムイさんが驚いたようにその名を呼ぶ。
私に頭からタオルをかけたらしい先輩は、どうやら私の後ろに居るようだ。軽くタオルの上からその頭を撫でられて、私とコムイさんの横に座る気配がした。
「おいえみる、俺にもお茶。」
ぶっきらぼうなその言葉に、私は何だかほっとして、タオルを被ったまま立ち上がる。そして台所へ向かう途中で外し、こぼれてしまった涙をそれで拭うと、石鹸の匂いがした。
ああこれ、神田先輩の匂いだ。
懐かしいようなその香りに不思議と安心する。そしてこのタオルをかけてくれた先輩にも。
…本当は、優しい人なのかな。
さっき頭を撫でられた事で、気持ちが落ち着いた。ぶっきらぼうで人の話しは聞かないけれど、何だろうか、一緒にいて気が滅入らない。
お湯を再び沸かす。そんな神田先輩に、特別にお父さんが使っていた、大ぶりの湯のみを出してあげた。
仏間にそのお茶を持って行くと、コムイさんが帰り支度をしていた。
「コムイさん」
お茶を先輩に出してコムイさんの前に正座する。
「先程のお話しですが…」
改まって言おうとすると少し困ったような顔で制された。
「うん、神田くんから聞いたよ。」
「は?」
「まあこの状況では致し方ないとは言え、お互い節度を持った生活をしなさいね。」
「はあ」
「後、ボクはさっきの話し、諦めたわけじゃないから。だからいつでも来てくれていいんだからね。」
きゅっとまた私の手を握った後、荷物を持って立ち上がる。
私と神田先輩も玄関まで見送りに出た。
「あの、今日はありがとうございました。」
また深く頭を下げる。顔を上げると脱いでいた帽子を被りながら、コムイさんは私に優しく笑いかけ、その後なぜか神田先輩を睨んだ。
「神田くん!」
「何だよ」
「キミ達はまだ未成年なんだからね?しかも学生だ!えみるちゃんの為にもキチンと避妊はするんだよ!」
必ずだよ〜!
叫び手を振りながらコムイさんは帰って行った。
私も笑顔でそれに小さく手を振り返しながら、隣で不機嫌そうな神田先輩を呼ぶ。
「…神田先輩」
「…何だ」
あんたコムイさんに何言ったんですか!!?
私の叫びが昼下がりの道路上に虚しく木霊した。