world is yours
□world is yours 3
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気がつけば俺は猫になっていた。理由は全くわからない。しかも知らない場所にいた。だが目の前の女が、何か悲しんでいる事だけはわかった。
薄く小さな肩が震えてる。
耐え難い何かに苦しむように。
まだ幼さの残るその頬に、幾つもの涙の跡に気付く。
悲しみを湛えたその瞳を見つめていれば、不意に持ち上げられて、「雄(オス)なんだ」と言われた。
どこを見て言われたか、そんなのすぐにわかる。
慌てて暴れてどうやら爪を出してしまったらしい。その手の甲には俺のつけた引っ掻き傷。
なぜか胸が痛むその赤い線を見つめると、「ごめんごめん」と手を伸ばしてくるが、何となくさっきの気恥ずかしさと、傷つけてしまった申し訳なさで、その手を避けた。
そんな俺に女は苦笑して立ち上がる。
「どこから来たのかわかんないけど、」
玄関の扉を開く。
「私が嫌ならごめんね、行ってくれてもいいよ」
そう言って寂しそうに笑いまた俺を見つめる。
…どうした。何があった?
そう言って聞きたいが今の俺は何も聞けない。
ただじっと、見つめるだけしか出来ない。
そうしてしばらく俺達は見つめ合う。
それは何だか不思議な感覚だった。
…何だろう。胸がざわめく。
空気に伝わる悲しみが、この俺まで切なくさせている。だがそれはこの今の状況が、俺を迷わせているだけかもしれない。いつもと違うこの身体がだ。
「…ならとりあえず、うちに居る?」
動かずその悲しみに沈む瞳を見ていると、そう問われた。
扉がガチャリと閉まりまた抱き上げられる。
また爪を立ててしまうのが嫌で、仕方なく俺は大人しくその腕に収まる事にした。
「行くところがもしなければ、うちにいていいよ」
確かに今の俺には行く所も、ここがどこかもわからない。現状を理解し、それに対処するのが先だとそう判断した。
連れて行かれた部屋に下ろされると、窓がある。
軽い身体でその窓枠へと飛び乗り外の様子を確認する。
…やっぱりか。
見たことのない世界。
変な格好をした男や露出の高い服を着た女もいる。かと思えば何だか車輪のついた金属の箱のようなものが、道を凄い勢いで走って行く。建ち並ぶ家々はどれも似たような、だが四角く見た事のない形をしていた。
よくわからないが、違う世界に来てしまったみたいだな。
うっすらと、今の自分の状況をそう判断していると、不意に懐かしいような匂いを感じた。
…これは日本のお香の香りか。
その香りに気付いて振り返れば、開け放たれた部屋の奥で、手を合わせているらしい女の小さな背中。
窓枠から音もなく降りてそこへと行き、背後から覗き込めば、白い袋がそこにある。
中に入っているのは骨壺だろう。だがそれは人が入るのには小さい。
動物か何かか?
推測するとそんな所だ。
だがそれにしてもその女の悲しみは深そうだった。
合わせたその手のひらには、いくつもの水滴が流れ落ちて、更に後から後から頬を伝っていた。
「う…」と漏れた嗚咽と震える唇。
…こいつには家族とか仲間とかはいないのだろうか。
周りを見渡しても他の人間の気配はない。独りで住んでいるようだ。
正座して目を瞑り、仏壇に手を合わせる女を見上げる。
長い睫毛が涙で艶めくように濡れている。ふっくらとした柔らかそうな唇が震えている。
何を願っているのだろう。
もしかしたらこの女もAKUMAになってしまうんじゃないだろうか。死んだものを生き返らせろと願っているんじゃないだろうか。
…そんな事は所詮、無理な話なのに。
「…誰か…」
心細くなるような震えた声が聞こえる。
だが誰かと訴えても、周りには誰もいない。
「…寂しいよ…」
…チッ
辛い響きのその言葉に、俺は思わず心の中で舌打ちした。
こう云うのは苦手だ。
どうしてやればいいかわからない。しかも今の俺には言葉をかける為の声も、慰める腕も、何もないのだ。
何となく歯痒い気持ちで見上げていると、女の合わせた手のひらが力無く膝へと落ちた。
何も出来ないのならせめて、と俺はその膝に手を置く。
驚いたように開かれた瞳。
泣き濡れたその痛々しい瞳がゆっくりと細められる。
「…心配してくれてるの?」
呟いて伸ばされた手のひら。
俺を撫でる必要なんてない。寧ろ俺がテメェを撫でれればいいのに、とその手を避けて、代わりに涙で濡れたその指先を、舐めた。