world is yours

□world is yours 5
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「はっ!」

木に登り、窓から覗けば女の裂帛の声が響いた。

いい動きだな。

長くやっているのだろう。女の動きは全く無駄がない。

八卦掌、か。
その独特の足捌きや、踊るような動き。

…綺麗だ。

素直にそう感じる。

「はっ、やっ!」

相手の腕を流して、掌を胸に当てる瞬間に寸止めする。

「そこまで!」

師匠だろう者の声で終了する。手のひらを合わせて礼。

こいつの日課。
ほぼ毎日のようにこの拳法道場に来ている。
そして俺はいつも窓からその様子を眺めていた。
確かに強い。動きもいい。型も完璧。だがいまいち躊躇いを感じる。ただ何かから逃げる為に打ち込んでいるようにしか見えない。

道場の隅で息を整え結っていた髪を解く。首を振るとさらりと落ちる髪。
そうしてまた、女は一礼をして道場を後にした。

こっちの世界にもAKUMAのような敵でもいるのだろうか。だが俺がここに来てからそんなものは見た事がない。正直、平和だ。

…身体がなまってしょうがない。

一度『アヤ』と手合わせしてみてぇな、と考えるが、今の自分の姿を思い出して苦笑し、それからぐうっと伸びをして木から降りた。
ふと一生このままだったらどうしようか、とも考えて何だか嫌な気分になる。
ここには俺のいる意味がない。エクソシストである俺の出る幕はない。しかも身体が猫じゃ、どうにもならない。
早く元の世界へ戻りたい。
身体を早く戻したい。だが…

道場の門の傍、人目のつかない場所で身を潜める。

…あの『アヤ』って女、何だか放っておけない。

少し茶色がかった艶やか髪と可愛らしい顔立ち。そして何より寂しそうなあの、瞳。
見つめられれば心臓が騒ぎ出す。胸が苦しくなって離れたくなる。なのに一緒にいたいとそう思う。
誰に対しても抱いた事がないこの気持ち、何ていうか…

そこまで考えて、我に返った。

……バカか俺は。
本当に何を考えているんだ、俺は。あいつは違う世界の人間だ。俺とは違う、平和な世界に生きている。拳法なんてやってはいるが、AKUMAもいないここがあいつの世界なんだ。

きゅっと眉間に皺を寄せ、舌打ちをする。

でもわかんねぇよ。何だよ、この気持ち。
あいつの家にいて、あいつが帰ってくるのを心待ちにしている俺がいる。
いつも窓から外を眺めて、今日も無事に帰って来たのを確認までしている。
いつも辛そうな顔で『学校』に行くあいつが、帰ってきた時に俺を見て、にっこりと笑うのを見る度に、安堵している俺がいる。
消えてしまいそうなんだ、いつも。
諦めたような辛い瞳が瞬きする度に、一体何がそんなにお前を苦しめているんだ?と聞きたくなるんだ、いつも。

…たった二週間で、情でも湧いたか。

チッ、とまた舌打ちをすると門が開きあいつが出てきた。
もう道は暗い。
俺はこいつに気付かれない距離を保ちながら、後をついていった。




道場を出て、こいつの家まで歩いて15分。
つかず離れずの距離を保つ。
俺は最近、この日課の行き帰りに妙な気配を感じていた。
いつも通る公園。
ある人間、大きい体をした男で、こいつにいつも嫌な感じの視線を物陰から送っている。
この公園を通るな、何度となく言い掛けたが、言えなかった。それは言う事で、『アヤ』との今の関係を壊したくなかったからだ。

…喋れる猫なんて、気味悪がられるのがオチだ。

初めはうまく体が慣れていなかったせいか、「にゃー」と鳴いてしまったが、ある夜、気付いた。
寝ながら泣いていた、『アヤ』。
辛そうなその夢から覚ましてやりたくて、思わず声をかけたら「アヤ」と声が出た。
驚いてすぐに身を隠したが、目覚めたこいつが、不思議そうな顔をしていたのを覚えている。

…でも、猫の振りをし続けるのも、正直、疲れる。

は、と溜め息をついた時、目の前にはまた、夕方に会ったでかい猫。視線が合って立ち止まる。耳を伏せて怯えたようにこっちを見ている。だが動こうとしない。恐れで動けないのか。

「どけ」

苛立ち出た俺の声に、さすがにびくりとしてさっといなくなったが、ヤバい、少しあいつと距離が離れた。
走り出す。いつもの公園へ入る。なのに『アヤ』の姿が見えない。

おかしい、簡単に追いつく筈だ。

そう思った時、植込みから人の争う気配。
覗き込み、毛が逆立つ。

「アヤ!」

思わず発した声と共に、俺はその場へ飛び込んだ。
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