籠越しから見る空

□籠越しから見る空 18 (後)
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パシンと強く頬を叩く音が事務所の一階に響いた。
身に起きたことがあまりに突然のことで茫然としているのは逢夏。
そんな逢夏を冷ややかに、けれど今にも激怒しそうなほど感情を抑えつけた目で睨んでいたのはレディとトリッシュ。
それにため息をつきながら二階に上がろうと階段の手すりに手を置いたのはダンテ。
起きた出来事に4者4様の反応が有ったが、けれど4者全員が守ったのは揃えて沈黙。
しかしそれを破ったのは、逢夏の両頬に手を添え直したレディだった。

「どうして貴女はいつもそうなの…?」
「レ、ディ…?」
「我儘なんて幾らでも言っていい。確かにそう言ったわ。でもね、どうせ言うならもっとましな我儘にしなさい。」
「ましな、我儘…。」

すぐ正面見つめ返した青と赤の目は、青は悲しみそのもので赤は怒りそのもののように見え
それを目の当たりにしてしまうと打たれた頬と繰り返した言葉にどれだけの重みがあったのか、ぐるぐると混乱する頭の中で考え続けるしかなかった。

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結局"いつも通り"でなど訪れてくれなかった翌日の朝。
一向に部屋から出てくる気配のないネロに声をかけようか、それともそっとしておいた方がいいのか
どちらが"いつも通り"でいられるのか、それだけを自分勝手に考えていた時だった。

無理やり手を引かれ、無理やり座らされたソファ。思わず瞑ってしまっていた瞼を開けてしまえば
気付かないわけがない左右からの視線とその送られる視線が発する問い。

「…昨日の夜?」
「そう、トリッシュに聞いたわよ?ネロと流星群見たんでしょ?」
「う…うん。」
「なにかあった?」
「…なにもな」
「『何もなかった』なんて嘘はなしよ。」
「…うん。」

ソファの右隣にレディ、左隣にトリッシュと逃げ場は元より、向けられる続ける眼差しは興味本位という仮面を被っていて怖いと直感が悲鳴をあげるほど
それでも、出かかった本当を飲み込んで、今できる精一杯の笑顔を浮かべて、誤魔化そうとするのに
…良い言葉が思い浮かばない。

「えっと…えっとね、星が綺麗だねってネロと話してただけで…それで…。」
「逢夏、私達はそういう事が聞きたいんじゃないの。分かるでしょう?」
「………う、ん…。」

レディとトリッシュが聞きたい事…。
それは思い出すだけで苦しくなる事。
口に出すだけで決意が揺らいでしまう事。
本当は"    "なんて…言いたくなかった、と。
本当は…

「昨日の夜、ね。ネロに…好きだって言ってもらえたの。」
「…そう。それで貴女はどうしたの?」
「すごく嬉しかった…。本当に嬉しかった。」

だけど…

「ごめんねって…断った、の…。」
「…どうして?」
「ずっと怖かった。失くしてしまうから…奪われてしまうから…ネロを好きでいれなくなるのが怖かった。
 嫌なの、ネロが好きなのに…ネロを好きでいられなくなるなんて…怖くて…」

ずっと前から知っていた。少し前に教えられた。
『贄は本来正当である主に何かを奪われることを恐怖と思わないはず。
 それは贄自身が贄の本質で、本性で、役目と心得ているから。』ということ。

じゃあなんでネロが怖かったのか。
考えてみればごくごく簡単なこと、…離れていくようだったから。
奪われて、失って、私が離れていけば離れていくほどに…ネロが遠くなって、一人になるのが怖かったから。
離れてしまいたくないと思うほどにネロの事が好きになってしまっていたから。

それで、好きだと言われて…ネロが同じ想いを持っていてくれたのだと気付くと今度は

「ネロを悲しませると思った…。近づいていけば近づくほど傷つけてく…離れていけば離れていくほど苦しめてく…。」

だから、近づきもしないで離れもしないことにした。
ネロの為が私の第一と言い聞かせて、これが最後の我儘だって自分に言い聞かせて。

そう昨夜の事を話すと…それまで静かに聞いていてくれたレディに頬を叩かれた。
もちろん痛くは無かった、けれどレディは今度はすごく優しく撫でてくれた。
涙が止まらなくて撫でてくれる手をどんどん濡らしていくのに、それを気にする事もなくずっと撫でていてくれた。

「泣くくらいならどうしてそんな我儘を言ったの?」
「残していっちゃ…ダメだと思ったから。独りでいることが…正しいと思ったから…。」
「…どうしてそれが正しいと思ったの?」
「それは……」

知らないよ…、そんなこと知らない。
いつの間にかそれしかないって、ただそう思っただけなんだから。
それが、私自身もネロも傷つかない方法だと思っただけなんだから。

「酷いよ…、レディ。どうしてそんな意地悪なこと、…聞いてくるの?」
「……酷いのは貴女よ。…あのね逢夏。自分を偽る為の我儘は貴女自身も傷つけるし、何よりネロも傷つけるの。
 貴女のやってた事は…」

お互いに深い傷を負わせて、お互い一人になって、一人でその傷を抱え込めと強制しているのと同じこと。

「一人じゃ治せない傷を貴女にもネロにも押し付けただけよ。…それは貴女自身、もう知ってるはず。」
「…嘘。そんなの…知らない。」

それこそ嘘だ。知っていたくせに。
昨日、何度も紡いだ"ごめんね"という言葉はいつからか変わっていたじゃない。
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