水月は紅の記憶に漂う

□海月の話
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「また…あの夢。」

樹の上でうたた寝していて気付けばすっかり日が暮れていた。
伸びを一つ、明かりが外に漏れ出す窓から孤児院の中をみると
修道服に身を包んだ大人から同い年の子、それよりはるかに幼い子供たちは食事のお祈りの真っ最中。

普通こういうものって言うのは"院にいる全員で行われるもの"だとされるだろうけど、私は…その中には入れない。
それはもう…とうの昔に慣れていた事だから諦めもついていた。とそう思っていたところにこの孤児院で唯一心を許せる人がやってくる。

「クヴァレ、こっちへいらっしゃい。」
「丁重にお断り致します、神父様。それよりも良いのですか?皆あそこでお祈りの最中なのに。」
「なに、あの祈りは食事をする者がすべきなのだよ?私はまだその時間ではないのでね。」
「…そう、ですか。失礼しました。」

謝らなくて良いとにこやかに笑うこの人だけだった。

少し…というよりも格段に人よりも治癒能力が高くて、病気をしにくく、
治癒能力の様に身体能力が高くて、スラム街の傍に建つ孤児院故に外から持ち込まれる暴力沙汰にも女である私の手で解決できる。

そんな私は最初こそはその力を慕われていたものの…次第に悪魔だと呼ばれて、ひとりぼっちになった。
それなのに、神父様だけは

『君は神様の恩恵を少し人より多く受けた人間なだけなのだよ。大丈夫、君は誰に何を言われようとも人間なのだからね。』

そう言って孤児院の中で唯一人、私を人間と認めてくれた。
そんな大切な人は心配そうな表情を浮かべて樹の上に居座る私を見上げる。

「クヴァレ、また食事はいらないのかい?」
「…はい。」
「今日で食事を取らなくなって一週間になる。本当に…」
「大丈夫です、本当にお腹が空かないだけですから…。それに…私はシスターたちを怖がらせてしまうから、院の中には…いたくない。」

私は人間だ、守るべき子供たちと何ら変わりない。そう神父様が言ってくれる。
……だけれど、シスターたちは私を怖がって、子供たちもずっと私を怖がって…私の居場所は神父様の傍しか無かった。

「そんなことを言っていても、今夜は冷える。幾ら体の丈夫な君も体調を崩してしまうよ。」
「何を今さら。私がどれだけ寒さに強いかご存じでしょう?」

一度無理やり連れて行かれた冬、自然が作り出した湖のスケートリンク。
子供が一人、立ち入り禁止になっていた氷の薄い場所に入り湖に落ちた時があった。
その時は唯、神父様を困らせたくなくて湖の中に飛び込んで…その後、凍るような水の中から出た私は風邪をひくどころか寒さに震えることすらしなかった。

「大丈夫ですよ、もし寒くなれば院に戻ります。…せっかく一人部屋を用意して頂きましたし。」
「一人部屋は私の本意ではないよ。…すまない、君の存在をこの院から追いやる様な形を取ってしまった。」
「気にしていません。私にとって、シスターたちや子供たちにとって…それが一番だったのですから。」

貴方が気にする事じゃない。
本当なら…貴方だって私を見捨てた方がよかったのに…シスターたちの反対を押し切ってこうやって決まりである18歳になるまでここに置いてくれている。
それに感謝していた。どれだけ人間離れしていても、こんな広い世界に放り出されれば…手も足もでないんだって知ってたから。

「君は本当に優しい子だよ。…何故誰も分かってくれないのか…不思議なほどにね。」
「私は神父様だけ…そう言って下されば良いと思ってます。私を分かってくれる人は…神父様だけでいい。」
「そんなことを言ってはいけないよ。でも…そうだね、そう言ってくれるのなら、部屋に戻ったらちゃんと食事を取りなさい。持っていかせてあるからね。」
「!。…ありがとう、ございます。」

飛び降りて神父様の目の前に行くと皺の刻まれた手でそっと頭を撫でられた。

「皆は誤解しているだけだ。こんなにも礼儀正しくて、真剣にお祈りができる君がどうして悪魔なのだろうか。
 大丈夫、いつか…分かってくれるよ。」
「ありがとうございます…神父様。」

そうやって微笑んで優しい言葉をかけてくれるこの人が本当に大好きで…大切な人で
この人の為ならどれだけ孤児院の人に嫌われていようともこの孤児院を守ろうと思った。

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誰にも気づかれない様に部屋に戻って、言われた通りデスクの上に置いてあった食事を取った。
その次に向かったのは唯一部屋に置かれた大切な私の宝物。

「お腹、すいてた?」

スポイトを使って餌を与えているのは海月。
飼育がとても面倒だと言われる海月は…先ほどの話、湖に飛び込んで子供を助けた時のご褒美に貰ったもので何よりも大切にしてた。

何故海月なのか…というのは小さい頃から海月がすごく好きだったから。
好きだと思う理由はたぶん…毎晩見続ける夢が水の中の夢で私自身が海月になるという夢だからだと思う。

まるで海月の様に水の中をただぷかぷかと漂う事しか出来ない私はただ上を見上げて、何かを待っていて

何度も日が昇って、何度も日が沈んで、そうしていつもの訪れる夢の終わり。
紅い姿の何かが水月の私をすくいあげてくれる。

それだけの夢なのに。
私にとっては深い意味のある様な夢。

そして今日も目をつぶってみる水の夢は…今夜だけ少し最後が違った。
すくいあげてくれた紅に…綺麗な一対の蒼がはめ込んであったというほんの少しでとても大きな違い。
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