憧憬と見上げる空

□普段の光景
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空に爛々と輝く月もそろそろ並び立つ背の高い街路樹の背に顔を隠す様な時刻。
黄色く色づいた街路樹の葉は突然鳴り響いた爆音とともに巻き起こった風の前に枝と別れ別れとなって散っていく。

音と風の元凶は、一人の青年…のバイク。
何を急ぐのか、青年はわき目もふらずバイクを猛スピードで走らせる。
一見何かに焦っているかのような荒い運転。
けれどバイクのグリップと一緒に小ビンを一つ、優しく握りこむ青年の表情はひどく嬉しそうで、とても優しいものだった。

エンジン音が静かな夜空にかき消えていったのはそれからたっぷり15分も後のこと。
跳ねるようにバイクから降り、嬉しさに逸る青年の足。
あまりに浮かれている所為か玄関前の階段でその足が少しもつれ、手に持っていた小ビンが青年の手から離れようとする。が、…

「おっと、…っぶね〜…。
 落とすと厄介なんだよな。」

青年がすばやく握り直して事なきを得る。
少しだけ落ち着いた足取りに戻ると、青年はリビングを通り過ぎ、階段を静かに上がるとある部屋へと入った。

そこにはポツンと一つの大きなベッド。

音も立てずにベッドの傍に寄った青年はその縁に座り
そっと手を伸ばしてベッドに横たわる人物の頬を撫でた。

「…逢夏、ただいま。
 帰り、遅くなってごめんな。」

遅くなるから起きて待つな!
と外出する前にしっかりと言い聞かせたのが効いたのか、きゅっと瞼を下ろして眠る逢夏。
その様子に青年、ネロも穏やかに笑い、頬から手をゆっくりとひっこめる。
しかし、その手はブランケットの中から伸びてきた手によって阻止された。
その瞬間、驚き丸くされた蒼い瞳に映った、闇夜に沈まない柔らかな温かみのある茶の瞳。

「おかえりなさい。」
「おかえりって…おまえ、まさか今の今まで起きて…!?」
「起きてたのかよ?えぇ、ちゃんと起きてました!!」

ぱっとネロの手を離すとベッドから跳ね起き、その場に正座した逢夏。
眉間にしわを寄せたその表情が言いたげにしているのはもちろんただ一つの文句のよう。

「帰りが遅いから心配したんだよ?」
「心配って…あのな、帰りが遅いのはもう言ってただろ。」
「それはちゃんと聞いてました!だからこうしてベッドで寝ようとしたの。
 …寝ようとしたけど……でも……。」

でも、でも。
と逢夏はそれだけを声にし、すぐに口篭った。
そんな逢夏の両頬を包むようにネロの手が触れる。

「心配って、そんなに俺が頼りないってことか?俺の言う事は信用できないってことか?」
「…そんなことは、ないけど…。でも…。」
「ほら、またその『でも』。
 何か不満に思うことがあるなら言えよ。
 言ってくれないと分かんねぇよ。」
「………。」

『でも』の先を促す様に見つめた茶色の目。
最初はどうにかして逃れようとしているのかその視線は泳いでばかりだったが
頬に触れた手によって優しく視線を合わせ直されると観念したかのように小さく伏せられた。

「…ネロは私の………なん、だよ?」
「俺がお前の…なんだって?」
「だから、っ…ネロは私の………旦那さま、…なんだよ?
 妻の私が、夫の心配をするのって…いけないこと、なのかな…。」

ただ何となく心配だった。
信頼しているけれど、頼りにしているけれど、それとは別に心配だった。

「心配くらいさせてください。
 私に出来るのはこれくらいしかないの。」

するりと力の抜けたネロの手から逃げた逢夏は今度は全てを委ねきるようにネロに抱きつく。

「おかえりなさい。
 無事でよかった。怪我…してなくて良かった。」
「……ただいま。
 心配してくれてありがとな。」

ネロが逢夏を抱きしめ返したと同時、ベッドに転がった小ビン。
まるで最後の悪あがきかの様に光を強くした月に照らされた小ビンの中で赤い破片が瞬いた。
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