憧憬と見上げる空

□満ちては欠ける
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地平線が紅く染まる時刻、人々が家路に着き終えた声、物音だけが外から響く静かな部屋。
目の前には数日前に見たものとは違う、心地よさそうに夢に浸る寝顔があった。
触れたい、思い付きのままに隣に遠慮なく腰を下ろし、寝顔に指先を伸ばす。

「触るな。」

温かな頬まであともう数ミリまで迫った指先が背後の声とこめかみに感じた冷たく固い感触に止められた。

「逢夏から離れろ。」
「…ちっ。
 んな怒るなって、わかったよ…。」

諸手をあげて降参のポーズをとりつつ、腰かけていたベッドからノワールが距離をとる。
その反対にネロはベッドとノワールの間に位置するように足を進めた。

「で、なんでそんなお怒りな訳?」
「しらばっくれんな。
 ここ最近、街で何をしてた。
 路地裏で逢夏に何を言った。」

撃鉄に指をかけたネロの目は常人であれば恐れをなしそうなほど静かな怒気を孕んでいた。
しかし銃口の先にいるのはまぎれもない悪魔。
銃を握るネロの眼差しに注意こそ向けていたが、特に怯えた様子もなく平然とその場に立っていた。

「おいおい、ネロ、知ってるか?
 そーいうの、人間の間ではプライバシーの侵害っていうらしいぜ。」
「…へぇ、そうか。
 じゃあ、ノワール、知ってるか?
 悪魔が知ったかぶって人間のあれこれ語ってるとデビルハンターがその減らず口を一生利けなくするらしいぜ。」

まだ遊びのあった銃口の先、けれど瞬時に照準がぴたりとノワールの眉間に合わせられる。
静まりかえる部屋。
その静寂を一つのため息が破った。

「利けなく、ね。
 やれるもんならやってみろよ。
 ここで撃てるのか?逢夏がいるこの部屋で?」

口の端を上げ、にやにやと笑うノワール。
撃てやしない。
ノワールの笑みがそう語っていた。

しかし、微かな嗤い声を大きな銃声が遮る。
音と同時にノワールのすぐ真横、置かれていた花瓶が粉々に砕け散った。
部屋に鳴り響く破壊音、けれど逢夏が目を覚ます様子はない。

「撃てやしないって?
 撃てるさ。
 逢夏の為なら、いくらだって。」
「へぇ…。
 逢夏に許可を下ろすまで起きないように命令したのか。」

ほんの一瞬だけ、ノワールが浮かべた驚きの表情。
しかしすぐさまそれは先の笑みに戻った。

「…可哀想に。
 最近いろいろあった所為でついに愛情が歪んだのか。」
「なっ!?」

上げていた手を下ろし、ノワールは得体の知れない笑みを浮かべながら一歩、間合いを詰める。
そしてゆっくりと青白い指先でネロを指差した。

「なぁ、ネロ。
 ここに来て、お前は何回逢夏に命令を下した?」
「っ、お前に言う必要は…」
「答えろよ。
 片手じゃ足りない、そう言うだけでもいいんだからさ。」

ちゃんと見ていたんだ。
失敗するたびに、都合が悪くなるたびに逢夏の為だと言い聞かせて命令してきたよな?
ケラケラと声を上げて笑うノワール。
それが突然静まる。
同時にその紅い視線もまた、徐々に薄暗くなる部屋に生まれる影に潜むかのように静かに細められた。

「見るな、聞くな、忘れろ、眠っていろ…とにかく命令したよな。
 逢夏に命令されたって自覚が無いことをいいことに。」

わざと音を立てながら床を踏み、沈黙を守るネロの前を尋問を思わせるようにゆっくりと行ったり来たり。
一度静まった表情と声を、再び晴れやかな笑みと、嬉々とした声に変貌させながらノワールは話し続ける。

「昔のお前が一番嫌ったことだったのにな?」
「……、まれ。」
「確か…、命令は逢夏を人間から物に貶める…だったっけ?」
「……だまれ。」
「でも、案外あっさり使い始めたよな。
 実際使ったら逢夏の制御が楽だし、一言言うだけだからお手軽だし。
 使えるもんは使っとかないと損とでも思った?
 それには俺も同か…」
「黙れ!黙れよっ!
 お前に…。
 悪魔のお前に人間の俺の何が分かる!?
 使っとかないと損?んな気持ちで使うかよ!
 俺はただ逢夏の為…」
「それが歪んでるって言ってんだよ。
 なんなら今の状況を整理してやるから、もう一度逢夏の為とか言ってみるか?
 逢夏のここ数時間の記憶を奪って、逢夏を無理やり眠らせて、逢夏が嫌う銃をこんなところでぶっ放した。
 ほら、言えるもんなら言ってみろよ。
 これが全部、お前の思う『逢夏の為』なんだろ?」
「っ!?
 ……それは…。」
「なぁ、ネロ。
 俺は悪魔である前にお前自身なんだよ。
 お前のことはなんでも知ってる。
 …だからさ、お前が一番分かってるだろ?」

俺に逢夏を渡せ。
そうすれば、すぐに楽になる。

ネロに静かに告げたノワールは一瞬本当に悪魔なのかと疑ってしまうほどの笑顔を浮かべていた。
かと思えば、綺麗な三日月を描く口元が解かれる。

「あっ、そうだ…。
 今日はこんなことを言いに来たんじゃなかった。
 ネロ、俺から提案があるんだ。」
「提、案…?」
「そ。
 聞いて損はないと思うよ。」

ま、聞いたら意地でも提案を呑ませるけど。
と再びノワールは楽しげに嗤った。
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