憧憬と見上げる空

□紛れ込む闇
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カチャカチャと皿とカップが触れ合う音がキッチンで響いているのを聞きながら、シャティを目の前に置き、話をしていた。

その話はもちろん、先ほどの傷害事件の話。

「まさか、こんなに早く居場所を嗅ぎつけられるなんてな。」
「…いや、居場所を分かってはいないだろう。
 我には適当にそれらしき人間を襲っているようにしか見えない。」
「詳細な目星もたてないまま、手当たり次第ってことか?」
「あぁ。
 噂で存在を知っている、その程度の行動だろう。」

シャティとの会話の通り、俺は傷害事件のことを知っていた。
目的が逢夏を狙ったものだというのも、もちろん知っていた。

なぜなら…

「悪魔の間で?」
『えぇ、逢夏の噂が絶えないのよ。
 アジア人で黒い髪の女。
 …あと、今はダンテから離れて生活している、ってね。』
「で…、今はほぼ完璧に俺とシャティが逢夏を抑えてるから、しらみつぶしに探す気だっていうのかよ。」
『そうみたい。
 流石に血が流れれば抑えが効かないでしょう?
 気をつけなさいね。』
「あぁ、分かった。
 …ありがとな、助かる。」

傷害事件が起こる少し前。
トリッシュからこんな情報を得ていたから。

事が起こる前になんとかしなければいけない。
だからこそ、毎晩のように噂を知る悪魔をおびき出しては退治するようにした。
退治する速度が噂のそれに遥かに劣るとわかっていながら、けれどそうするしかなかった。

そんな中で起こってしまった、この傷害事件。
知れば落ち込んでしまう、下手な気遣いなど全て逆効果になってしまうと分かっていたから
逢夏の耳に入らないようにと気をつけていたのに。

「…知っていた方がいいんだろうけどな。」
「知ってしまったものは仕方ない。
 それに、隠すのも限界だった。
 噂を知る程度にしては、悪魔の方は切羽詰まっているようにみえる。
 すぐに尻尾を見せるだろう。」
「だといいけど。
 …とりあえず、今日も行ってくる。
 逢夏を頼むな。」
「任せておけ。」

出掛けると言えば、理由を聞かれてしまうから
『すぐに帰る。』
とだけ書いた置き手紙をシャティに手渡し、レッドクイーンを手に取り、家を出る。

外は霧深く、僅かなはずの月明かりが反射して明るい。
なんとなく、気味の悪い夜だと思った。

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事件を目の前にした翌日の朝は、よくよく晴れた。
とても空気が澄んでいて気持ちよくて、あまりに気分がいいから、玄関前の掃除をすることにした。
街路樹の紅葉した葉で黄色の絨毯をひいたかのような玄関先。
のんびりと箒で掃いているところに、隣家に住む女性エマが通りすがる。

「エマさん、おはようございます。」

習慣となった挨拶をするとエマが振り返った。
そこで私が見たのは笑顔などではなく、思いつめたかのような苦しげな表情をしたエマさんの顔。
いつもならニコニコとにこやかで素敵な人なのに…。

「あの、どうかなさったんですか?」

聞いてから気がついた。
いつも幸せそうな声を上げるエマさんの一人息子、ノア君が…今日は、いない。

「あの、エマさん…ノア君は…?」
「数日前から体調がよくないの。
 なかなか良くならなくて…、もう、どうしたらいいのか…。」
「そう…なんですか。
 すみません、お聞きしてしまって…。」
「いえ、いいんです。
 …これから薬を頂きに行くので、これで失礼しますね。」

エマは軽くお辞儀をして、足早に家から遠ざかる。
その背からは、ノア君が患っている病気がただの病気ではないと物語る気配が漂っていて
そんな気配に気付くと同時、私は背筋が凍るような言い知れない悪寒にさらされた。
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