憧憬と見上げる空

□悪魔は幸せを背に嗤う
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涙も落ち着いて、震えも止まったのは一時間後のこと。
それから食事をとり、シャワーを浴びて、少し早いけれどシャティの言うとおりに寝ようと思っていた時だった。

ピンポーン、と
一回だけ、呼び鈴がなる。

「…誰?」
「まて、逢夏。」

開けるなとシャティに素早く制される。
ぴくぴくと垂れた耳を頻りに動かしたシャティは気配を探るかのように玄関口を睨みつけた。
すると、数秒後に

「逢夏さん、あの…エマです。
 夜分申し訳ありません、いらっしゃいますか?」
「エマさん?」
「…隣のか。」

ほっ…とシャティが安堵の息をついたのを合図にドアに駆け寄りゆっくりと開けた。
すると、前に見せた暗い表情のままのエマがそこに。
最近塞ぎこんでいた隣人の突然の来訪。
来訪の理由はもちろん気になった。
しかし、外に広がる漆黒の闇と同化する様な黒い服に身を包んでおり
俯き加減で、あまりこちらを見ようとしない彼女の様子の方が何故か気になった。

とりあえず、こんなに寒いのだから…とドアをもう少し開けて家の中へと促す。
しかし、棒立ちになったかのように彼女は動かない。

「あの、…このままでは冷えてしまいますから中へどうぞ?」
「…いえ、ここでいいです。」
「?
 エマさ…」
「逢夏さん、お願いがあるんです。」
「おね、がい…ですか?」
「えぇ、もう…心当たりは逢夏さんしかいないんです。」

『心当たり?』
オウム返しの様に問い返そうとした途端
突然伏せられていたはずの眼差しとかちあい、…息が止まった。

目の前にあったのは、黒い縦長の瞳が奔る緋色の目。
視界の隅に過った、長めのコートの裾から伸びる鋭く直線的な長い5本の爪。

「……!」
「貴様っ!」
「動かないで!」

声をあげようとした時には、腹部のあたりが熱く感じ
次の瞬間にはその熱さが頭の中を駆け巡った。
その間にシャティはエマに飛びかかろうとするも、もう片方の爪にそれを阻まれる。

「ぁっ……エ、マ…さん…?」
「ごめんなさい…。
 でも、ノアを救うためにはどうしても…どうしても血が…贄の血が必要なの。」

急激に下がっていく血の気も
ぼやけていく視界も
『久しぶり』と他人事のように感じながら、聞かずとも語られるエマの話を聞いていた。

久しく見なかったノアは数日前に何をしたのか、悪魔に追われ、深い傷を負い
彼女はそれを必死に治そうとしたけれど、治すまでに彼女の魔力が至らず
どうしていいのかわからないまま途方にくれていた最中

『贄と呼ばれる悪魔に力を与える人間がこの街にいるかもしれない』
『小柄の女』
『黒髪、アジアの出らしい。』

という噂を耳にした。
そうして、思った。
ノアに魔力が戻れば、すぐに傷が癒えるはず、だと…。

「本当は、…人間の様に暮らすと決めてから絶対に人を傷つけないと決めていたのよ。
 ……でも、仕方ないの。
 息子を守るためには、これしかないの!」

暗闇に沈みそうになるはっきりしない視界に映ったエマの痛苦の表情と
本当は最初から私が贄なんだろうと思いながらも、そうでないことを祈りながら他の人間を襲い続けた事を暴露する悲痛の声

その二つはただ漠然と…彼女は悪くないと、そう思わせた。

だから、…心の中で
ネロに謝りながら
でも、これでいいんだと確信しながら…
目を、閉じようとした。

そんな…時だった。

「お前、それが誰のもんなのかわかってやってんの?」

声がした。
さっきまで、心の中で謝っていた人と全く同じ声が、した。
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