憧憬と見上げる空

□しのび寄る危機
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やはり既に隣の家はもぬけの殻だった。
この街の悪魔を当たってみたが、どこに行ったのか、そもそも生きているのかといった情報すら得られなかった。

ノワールは終始がっくりとした調子で話していた。
しかし、口調こそはそうあれ、目の輝きはそうではなかった。

紅の輝きは明らかに殺気を放つ、禍々しい光。
この光を逢夏に見せてはいけない。
体は咄嗟に逢夏とノワールの間に立つように動いた。

…けれど、そこに逢夏の弱々しくも芯のある声が響く。

「…もう、やめて…。」
「「え?」」

突然の声に、俺もノワールも呆気にとられた。

「もういいの。
 エマさんもノア君も、もう放っておいてあげて。
 エマさんは悪くない。
 どうしようもなかったの、ノア君を守るためにはどうしようもなかっただけ。
 だから、もうっ…」
「ダメだよ、逢夏。」

逢夏は既にあの悪魔を許している。
それはあの晩にシャティから聞いた話で予想がついていた。

そして実際…
エマにも事情があったのだ。
私は今無事でここにいる。
今ならまだ、許せるところにいる。
そう、エマとノアの情報を集めている俺に逢夏は言った。

『こっちの気も知らないで。』
そんな言葉を押し込める俺に気付きながら、だけど泣きそうになりながら縋る逢夏に折れるしかなかった。

…だけど、目の前にいるのは正真正銘の悪魔。
そんなことで折れるはずがなかったんだ。

「ダメ…って、どういう…」
「どうもこうもないよ。
 俺はあの悪魔を許さない。
 逢夏を傷つけた、それがどれだけの意味を持つかわかってる?」

昏く、低い声でノワールが紡ぐ言葉はまさに俺の本心。
しかし、押し殺さなければいけない心そのものだった。

そんなノワールは逢夏から俺に視線を移し、憎悪の声で言葉を発し続ける。

「やっぱり、お前に逢夏を任せていられない。
 お前が甘すぎるから、いつまでたっても逢夏は自分の置かれてる状況を理解しない。
 だからお前はいつまでたっても逢夏を守れない、逢夏はいつまでたっても傷つき続ける。」

いつか後悔する。
吐き捨てるように言ったノワールは再び窓枠に腰かけ、外を見始める。

『お前に俺の何が分かる。』
それが、頭をよぎった言葉。
腹の底が怒りで熱く感じた。
人間としての身の振りようも知らない悪魔に言われたくなかった。
そうして、怒りに我を忘れ…口を開きかけた時だった。
左手に触れた、ほんのりと冷たく小さな手。

「…っ、逢夏…?」
「手…、血が出てる。」

注意された左手を広げてみると、掌に爪が食い込んだらしく血が流れ出ていた。
広げた俺の手を震える両手で包む逢夏は完全に怯えきっていて
すぐさま抱きしめてやりたいと思うのに…けど、その血で濡れた左手が邪魔をした。
この程度の傷などすぐに治る。
だけれど…、血が手に残る限り逢夏には触れられなかった。

「て、…手当…。」
「…逢夏、平気だから。」
「でもっ!」
「逢夏!」
「っ!
 ……ごめんなさい、私…。」

少し大きな声を出しただけで、びくっと身を竦めてしまう逢夏。
なのに、そんな今にも泣きだしそうな逢夏にも触れられなかった。

「…ごめ、ん…。」

今でさえこれなのに
もし、ノワールの言葉通りにしてしまったとしたら
二度と逢夏に触れられなくなってしまうんじゃないかと震えが止まらなかった。
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