特殊系置場

□絶対距離
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乱れた着物を言いわけ程度に纏った白い身体と、紅鳶色の髪の隙間から覗く濡れた瞳。
触れようと手を伸ばせば、目の前の存在がびくりと肩を震わせた事に酷く胸が痛んだ。


自分がやった事なのに―――


抑えきれない劣情に任せてこの身体を引き倒し、本能のままに掻き抱いた。
抗う手を力で捩じ伏せ、苦痛に歪んだ顔に零れた涙を拭う事もせず、ただ己の欲望を満たす為だけの行為。

責められても、詰られても仕方がない。
自分はそれだけの事をしたのだから――――

伸ばしかけた手を引いて、自分の膝の上で握り締める。
顔を見ることが出来なくて、虎之助は俯いた。

「佐吉…その―――」

「謝るのか?」

「っ!」

言い掛けた謝罪を呑みこんで、思わず顔を上げた。
髪を避けたのか、貌が露になった佐吉はじっと虎之助を見つめている。
その視線が真っ直ぐで、睨まれている訳でもないのに胸がずきりと痛んだのは、その瞳がまだ涙で濡れていたからだろう。

「虎」

今度は虎之助が肩を震わせた。
謝らなければと、先程言い掛けた言葉をもう一度口にしようとしたが、唇がわずかに戦慄いただけで声にはならない。

「後悔、してるのか?」
「………ッ」

再び俯いて黙った虎之助に、佐吉は眉を顰めて唇を引き結んでから、再び口を開いた。


「後悔しているなら…謝ってこのまま忘れろ。…だが、もし後悔していないのなら謝るな」

佐吉の言葉に虎之助は俯いたままに目を瞠り、そして言われた言葉を必死に頭の中で反芻する。

どうあっても自分のした行為は許される事ではない。
だが、佐吉が言った言葉は行為に対しての怒りでは無い様にも思えた。
しかしそれは許されたいと願うだけの、浅はかな己本位の考えからなのかもしれないとも思う。

「どうなんだ?」

佐吉の声には怒りも悲しみもない。
ただ、静かに問い掛けられる事が、なによりも虎之助の胸を苛む。

「俺は……」

迷いに迷った虎之助ではあったが、やがてを決して顔を上げる。
相変わらず佐吉の表情は静かで、一瞬視線を彷徨わせてしまった。
それでも、導き出した言葉を口にする。

「―――ごめん…なさい…」

小さな声で謝罪の言葉を紡いだ。
佐吉は少し間を開けてから『そうか』とだけ言った。

「なら、今夜の事は忘れろ。俺も忘れるから」

その時の佐吉の顔は忘れられない。
再び泣きだしそうな顔で笑った彼に、それ以上の言葉を掛けることが出来なかった。


何て酷い事をしてしまったんだろう。
泣かせて、傷付けて――――
きっと佐吉は、本当は悲しかったし怒りたかったのだろう。

佐吉に言われて部屋に戻った虎之助は、激しい慙愧の念に囚われた。


思い出すのは、最後に見た佐吉の顔だった。

本当は…あんな事をしたいわけじゃなかった。
泣かせたい訳じゃなかった。
傷付けたい訳じゃなかった。

本当は――――……

「俺の…馬鹿……」

呟いた後悔の言葉は、部屋に満ちた闇に吸いこまれる様に消えた。



あの時から、少しずつ虎之助と佐吉の関係は拗れ始めた。
虎之助の方が無意識に佐吉を避けていたのかもしれないし、佐吉の方も意識せずに虎之助との間に僅かな距離を持つようにしていたのかもしれない。
周囲は気付かない程の溝とも呼べぬ小さな切れ目は時を経ても埋まる事はなく、気がつけば二人は名も背丈も変わっていた。

それでも、あの時に抉れたままの関係だけは何も変わらず二人の間に存在していた。




続くか、な?



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