短編

□あい を
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彼女は言葉を喋らなかった。

決して喋れない訳ではない

ただ、話すのが苦手‥らしい

伝えたい事の半分も伝わらない

故に、

"話す"

と言うことに
抵抗を覚えたらしい


彼女はまだ少し幼かった

とは言え、年齢で言えば然程変わりはない

強いて言えば、僕のが少しばかり年嵩なだけだ。


彼女は空虚だった

記憶がない‥
と言うのが正しいのか

…否
自らそれを望んで棄てたのか


どちらにしろ
表情一つ動かさないのは素からだと思う。

出逢う前の事は知らない

しかし、彼女には欠落したものが多くて
それでも求めているものがある

‥と言うのは解った

時折ちらりと見てくる彼女に
何か欲しいものはあるかと問いかければ

彼女は数度瞬いた後
スケッチブックに大きく書く


"あい が ほしい"


と。





























あい


それには沢山の意味があり

そのどれもが彼女に足りないも
のである

先ず、彼女に"相"を与えた

それは共に居るという事

こてりと不思議そうに首を傾げる彼女に、笑みが零れた。


ゆっくり ゆっくり
与えて行きたい

"あい"を



















それは
名もない彼女自身を指す

彼女に名前をつけた

すると

にこり

微笑んでくれて
どうしてかそれが

とても面映ゆかった。




















会い

それは触れ合うという事
交流するという事

だから沢山の人達と過ごさせた

始めこそ竦んでいた彼女だったが、次第に少しずつ…
本当に少しずつ、
表情が色付いて鮮やかになった

嬉しいような 寂しいような


靄(あい)が芽生えた。






























それは悲しい事
寂しい事

与えなくても善かったのかもしれない感情


だというのに…

教えてしまったそれは

どうやっても取り消す事は出来ないのだ。
































隙間 あいだ

喋る回数が減った
笑い合う回数も減った

それだけでこんなに苦しい
ものなのか

彼女が近くに寄らないだけで
自分はこんなにも弱くなるものなのか

認めたくない事実だ

しかし、
それと同時にしっくりと来る感情が見つかり視界が滲んだ。


嗚呼、僕は弱い

こんなに弱くなるまで
彼女に助けて貰っていたのか

それ程迄に彼女を…


新たな自分に驚きつつ
少し寒い右腕を握った。











































逢い

顔を合わせるという事

交流するとは違う
ただ己の本能に従うもの

然して距離が空いている訳ではない走って逢いに行くなんてしなくても良い

けれど、
居ても立ってもいられない子供な僕は

小走りで向かう

嗚呼短い距離が長く感じる

それが、
ただそう錯覚しているだけなのか

それとも
実際に僕の足が震えているからなのか

どちらかなのは判らないけれど

確かに遠く感じて鼻の奥がつんと痛んだ。































合い

合わせるという事
互いにそうするという事

やっと正面から顔を見た

僅かに水分を含んだ目が
堪らなく綺麗だと思った

月並みな表現?

そんなの知ったこっちゃない

純粋に思った事を述べて何が悪い

だけど本当に

こんな臭い事を思う何て僕らしくないと思う

また知った僕の知らない僕


それを教えてくれた彼女を
恐る恐る抱き締めてみた。

壊してしまいそうだったとか

抱き締めてないと何処か遠くに行ってしまいそうだったとか

僕の前から消えてしまうんじゃないかとか…

そんな事を素で言えたら
僕はなんてロマンチストだったんだろう


けれど現実はそう甘くない

彼女を抱き締めた理由なんて簡単で簡素


ただ

抱き締めたかっただけ

である。








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