*小説 1*

□目覚めたら傍にいて 3
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「課長には話した?」
『いえ…』
「そっか」
 長くなりそうだなと思ったから、友聖はテーブルの上のリモコンを指し、佐々木にジェスチャーでテレビでも観ていてと伝えた。彼が口の動きだけで『了解』と返してくる。
 ソファーに座り、友聖は三田という後輩の話に耳を傾けた。彼は自分がこの仕事に向いていないようなので、先輩方に迷惑を掛けてもいけないので辞めたい、というようなことを言う。
 普通仕事を辞めたいのなら自分の部署の課長なり部長なりに相談すればいいのだが、友聖の職場では特に新入社員の間で、『辞めたくなったら一度総務の高月に相談せよ』という噂が広まっている。
 きっかけは四年程前。当時散々失敗しながらも、やっと一人前の仕事が出来るようになっていた友聖のもとに、ある新入社員が退職後の健康保険や年金について聞きに来たことだった。一通り質問に答え終え、あとは必要書類を渡して事務的に処理をしてもよかったのだが、なんとなく飲みに誘ってしまった。彼に少し前までの自分を重ねてしまったのだろうし、その日は暇で定時で終わるという偶然も重なった。
 どこにでもあるチェーン店の居酒屋で二時間彼の話を聞いた。入社してからずっと総務の友聖は他の部署の様子が興味深く、ただ黙って話を聞いていただけだったのだが、彼は話し終えると気が晴れたらしく「また明日から頑張ります」と言い出した。結局たいした額でもない彼の飲み代を負担してやったに過ぎないのに、彼はどこをどう間違ったのか、仕事を辞めなかったのは友聖のお陰だと思い込んだ。そしてあろうことか、翌年の新入社員にそのことを大袈裟に語って聞かせたらしい。
 翌年二人の新入社員から相談を受け、更に翌年は軽い愚痴程度のものも含めると四人の話を聞いた。去年と今年は新入社員以外からも相談を受け、辞めたくなったら高月という噂は会社中に広まってしまった。
 友聖は助言する訳でもなくただ話を聞いているだけなのだが、何故かみな話し終えると辞職を思い留まる。
『みんな自分の話を聞いて欲しいんだよ。でも誰でもいいって訳じゃない。お前の人柄だな』
 上司の広瀬はそう言ってくれる。お前が悩んだときには俺に相談してくれると嬉しいけどなと付け加えてくれた彼に、友聖はいい上司を持った幸運をかみしめたものだ。
 直属の上司達が気を悪くしないかとも考えたが、広瀬曰く『そんな心の狭い役付はこの会社にはいない』だそうで、そんな訳で、友聖は自分のところに来た社員の話は聞くことにしていた。
「──すみません、こんな時間に長々と」
 三十分程話を聞くと三田は落ち着いたらしく、照れたように言った。
「ううん、相手先がある部署は大変だよね。いつも凄いなって思うよ」
『いえ』
 これはもう自分で答えを見つけているなと思い、アドバイス代わりに「明日お昼一緒に出ようか。そっちの時間に合わせるから。販促の課長や部長には全然敵わないけど、何かご馳走するよ」と言ってみた。三田はこちらが恐縮するくらい何度も礼を言い、また明日と電話を切った。
「また明日、か」
 その言葉にふっと笑ってしまった。
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