*小説 1*

□その腕で抱きしめて 4
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約束通り連絡が入り、金曜の夕方、ホテルから車で二十分程のファミレスで、佐々木は本田朋子と彼女の旦那に向き合っていた。
「すみません。私一人では上手く伝えられないこともあるかと思ったので、主人にも来てもらいました」
申し訳なさそうにする彼女に、佐々木は微笑んでそれを否定した。そして旦那の方にもう一度頭を下げる。
「お忙しいところありがとうございます。佐々木といいます」
佐々木は名刺と身分証明書を差し出した。
旦那――本田拓と名乗ってくれた――は名刺だけ丁寧に受け取ると、身分証には軽く目を向けただけで佐々木に視線を戻してきた。
「接客業をやっていますので、証明などなくても、あなたが悪い人間でないことくらい分かります」
「光栄です」
そうして、ウエイトレスが注文した飲み物を運んでくるのを待って、夫婦は話し出した。
「妹は昔からなんでもできる子でした。成績も人当たりもよくて、自慢の妹でした」
先に朋子の方が話し出した。まるで自分はそうではないという口ぶりだったが、話し方や仕種の一つ一つから、彼女も賢い女性であることは充分伝わっていた。
「関東の大学を出て商社に就職して、そこでも活躍していたらしい郁子は、仕事関係で知り合ったご主人と結婚して、恭一を授かります。もう、文句のつけようのない人生で、私も結婚して娘がいたにも拘わらず、少しだけ羨ましくなったのを覚えています」
そう言うと、朋子は遠慮がちに旦那の方に目を遣った。恐らく、自分の台詞が旦那を傷付けなかったかという気遣いなのだろう。彼は『心配しなくても大丈夫』とでも言うように妻に笑い掛ける。その何気ないやり取りに、佐々木の心も暖かくなった。
朋子が勇気付けられたように続ける。
「妹は育休が明けた後、すぐにフルタイムで職場に復帰しました。ご主人も育児に協力的だったようですし、金銭的にも恵まれていて、延長保育や短時間のベビーシッターを頼むこともできたみたいです。一、二年は問題なく両立できていたようでした」
そこで郁子は一旦言葉を止め、目の前の紅茶を口にした。
「それが、恭一が三歳になる年にご主人の単身赴任が決まって、少しずつ変わり始めました。栄転で生活面でも金銭面でも問題なかったみたいなんですけど、その頃から時々、あの子から『恭一は私のことが好きじゃないみたい』っていう電話を受けるようになったんです」
「好きじゃない?」
佐々木が問い返すと、朋子は少しだけ困ったように笑った。
「佐々木さん、お子さんは?」
「僕は残念ながら。まだ結婚もしていないです」
佐々木は肩を竦めてみせた。友聖がいれば法律上の結婚も、子どもを持つことも望んではいないという正直な思いは、ここでは封じ込める。
佐々木さんなら選り取り見取りでしょうにと笑って、朋子は話を元に戻した。
「ベビーシッターさんに預ける時間が長いから、私のことを母親だと思っていないんじゃないかって言っていました。子どもって覚えたての言葉を意味も分からず口にするし、気まぐれだし、あまり正面から言ったことを受け止めなくてもいいって言ったんですけど、郁子は真面目で頑張り屋さんだから、追い詰められちゃったみたいで。その頃仕事も忙しかったようで、そのうち『私も、もしかしたら子どもが好きじゃないのかも知れない』って言い出して…それで」
意を決したように、彼女は続けた。
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